2008-12-20

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #9

Ad perfect -- Posted by Susan Wojcicki, VP, Product Management (9/12/2008)

Google's advertising business was founded on the core principle that advertising should deliver the right information to the right person at the right time.

広告はウザい。何よりもまずそう思うのはなぜだろう? おそらくそれは、ヒトがインターネットにつながる以前の世界での広告の供給のされ方に問題があったのだ。その基盤となった技術の未熟さが、広告を有益さよりもわずらわしさが目立つ情報にしてしまった。その配布に対する方法論が稚拙だったことが、広告をほぼ確実にムダなだけの情報にしてしまった。

「正しい時に、正しい人に、正しい情報を」、もう少しわかりやすく表現するなら「適切な瞬間に、必要としている人に(だけ)、(本当に)求められている情報を」となるか。これが実現できるなら、広告は有益どころか必須の情報となる。

さらに言う「まだ存在を知らない(けれど実は有益な)何かを知るのに役立つ」と。

ads can help you learn about something you didn’t know you wanted
(・・・中略・・・)
the ad helped me discover something I didn't know existed.

もちろん、インターネットは、コンピュータは、Googleはヒトの心が読めるわけじゃない。その代わりに膨大なデータを使う。わたしやあなたや彼や彼女が、今どこにいて、いつもこの時間なら何をしているか、普段その場所でどんなことをしているのか、今日はどんな日(子どもの誕生日? パートナーとの記念日?)なのか、そんな雑多な個人情報をガサガサ集めて、ゴリゴリ処理して、その望みを(確率的に)割り出す。そして、こう言う「ひょっとして、おいしい和食の店を探していますか?」と。

「広告」の概念を発明した人が誰かは知らないけれど、その発想の大本には3つの "right" があったのかもね。

関連エントリ

2008-12-14

iPhone HACKS! ([著]小山龍介, [版]宝島社) #2

このところ、ライフハック系の本を良く読んでいる。というのも、この類の内容が通勤、とくに朝の通勤で読むのにピッタリだから。気合いが入ったり、モチベーションが上がったり、こうしてみよう、ああもしてみようと前向きな気分になれる。で、そういった本で共通に主張されていることがある。それは「コントロール」。ライフハックとは自分自身を、キャリアを、人生をコントロールすることなのだ。

(p.66)
これは、自分で決めたスケジュールです。自分で自分自身をコントロールする。自分の時間をコントロールする。それは、他人に流されることなく、自分自身のリズムで生きていくということ

とはいえ、自分自身のコントロールは簡単じゃない。世界で一番わがままな自分自身は、自分の言うことすら聞いてくれない(他人の言うことなんて耳も貸さない)。

(p.73)
効率の悪い仕組みの中でがんばるよりも、がんばらなくてもいい仕組みを作る、というのは、まさにハックの真髄です。

言うことを聞いてくれない自分に悩むより、無理に言うことを聞かせようとがんばるより、言うことを聞かざるを得ない仕組みを作れないだろうか。

(p.102)
環境が思考や行動に影響を与えている一例。こういうことを経験すると、思考そのものを無理に変えようとするよりも、環境を変えたほうが簡単だ、ということにも気づきます。 ここにもライフハックの基本コンセプトがあります。それは、「自分を変えるのではなく、環境を変える」ということ。・・・(中略)・・・外部の環境を変えることで、その環境の変化に対応して自分の思考が変化する。この発想で仕事や生活を捉えなおすことが、ライフハックなのです。

ここが大事なところだね。自分を変えるのが難しければ、もっと変えやすい環境を変える。たとえば、TV を見ることが自分自身のコントロールを失わせているというなら、(あくまでも「例え」だゾ)、TV を捨てる(売ってしまう)というような「環境の変化」を起こしてしまう。無いものは見れないからね。完全に排除してしまうのが不安なら、普段はコンセントを抜いておく、とかね。

結果が出さえすれば良いんだよ。自分自身をコントロールすることが目的だからといって、自分の変化にこだわらなくても良い。ヒトは独立してただ自身だけで存在しているわけじゃない。取り巻く環境との関係も自分のあり方のひとつの面だ。環境を変えることで、好むと好まざるとに関係なく、行動が変わる。そんな変化の起こし方もある。ちょっと「目からウロコが落ちる」気分だわ。(`・ω・´)

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2008-12-12

第28回 不在問題 ([著]増井俊之, [版]WIRED VISION BLOGS)

増井俊之の「界面潮流」: 第28回 不在問題

私が運営している本棚.orgQuickMLなどのサービスは、ユーザIDもパスワードも登録せずに利用することができるようになっているのですが、ユーザやパスワードの登録が要らないことに気付いて喜んだ人はほとんどいないようです。ユーザの個人的な情報を扱うシステムなのにパスワードを使わずに利用できるということは大きなメリットがあると考えているので、私は自分のサービスでは極力ユーザIDやパスワードを利用しないようにしているのですが、「パスワードを利用しない」ということの利点はなかなか理解してもらえないようです。

「パスワードを利用しない」っていうか、特定の個人に結びついたデータを本人をふくめて不特定の人々が更新できる、という状態だよね。一般的には受け入れがたい状況なのだけど、場合によってはこれが受容可能なこともあるんじゃないか?

もちろん、いわゆる個人情報を勝手に書き換えられるのは困るし、なりすまされるのも問題だ。けれど、わざわざ他人にひもづいたものを書き換えようと思わない(あるいは書き換えることで得られる「何か」が手間に見合わない)、そんな情報はないのだろうか?

ひょっとしたら、「誰でも書き換えられる」方が積極的に喜ばれることもあるかも。「本棚」や「ML」がそうなのかはわからないけど。ああ、やっぱりそういう状況はちょっと想像できないな。

とはいえ、いつだって想像力不足っていう可能性はある。だとしたら、そこにイノベーションの可能性もある。発明おじさんはそういうことを言いたいのかしら(・ω・)?

そうそう、Wiki はちょっと違うよね。そもそもの Wiki は特定の個人に結びついていない情報(つまりみんなの共有情報だ)を誰もが編集できるっていうものだから。ま、運用次第ではあるけど。

携帯の乗換案内を、もっと素早く。([著]井上 陸, [版]Google Japan Blog)

Google Japan Blog: 携帯の乗換案内を、もっと素早く。

Google モバイルの検索ボックスには欲しい情報をすぐに見つけられるよういろいろ工夫がしてありますが・・・(中略)・・・

  • 「渋谷から六本木」:これが基本的な使い方です。現在を出発時刻にして検索されます。
  • 「六本木から横浜 終電」:急いで終電を探すときも、これで一発です。
  • 「渋谷から六本木 1830」:これで、午後6時30分に六本木に到着する経路を検索できます。
  • 「渋谷 六本木」:スペースで区切って使うこともできます。

正体はただの単純なアルゴリズム。実体はただの条件分岐。けれど、ヒトはこういうところに「賢さ」を読み取る。本来、「便利」==「賢い」ではないのだけれど、今までのコンピュータの不便さへの不満の反動がそう思わせる。

結局、ヒトと同じように思考する機械を作ることはできないのかもしれない。その代わり、膨大なデータを背景に動く(比較的)単純なアルゴリズムが「賢さを演出する」ようになるかも。ヒトのような能動的に外界と対話する知性ではなく、受動的だけれども問題解決に特化した「賢さ」。ヒトの問いかけにヒト以上の賢明さで答えを編み出す。そんな機械ならもうすぐそこに見えているのかも。

演出された賢さはチューリングテストをパスしないだろう。けれど、便利ならそれで良いよな。チューリングテストをパスするような機械にヒトは好感を抱かない。

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2008-12-05

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #8

The future of mobile -- Posted by Andy Rubin, Engineering Director (9/19/2008)

Your phone is like your trusted valet: it knows a lot about you, and won't disclose an iota of it without your OK.

ひとつ前の The intelligent cloud を補完するような内容。というか、そのより具体的な姿、ありうべきビジョンというところ。モバイル(指先に触れるモノ)だけでは実現できない。クラウド (ネットの向こう側)だけでも実現できない。けれど、この両方を合わせるとそこに未来が見えてくる。

毎日、毎週の時間割を決める。iCalに入力する。リマインダをかける。やるべきこと、やりたいことを洗い出す。RTMに入力する。日時を特定できるものはリマインダをかける(メールを飛ばす)。大事なことはリマインダをかけること。朝、起きる時間を「目覚し時計」に任せるように、日常の行動のトリガーを「システム」に任せてしまう。リマインダをうまく使えば、適切な時間に「システム」が今何をすべきなのかを教えてくれる。頭の中から追い出しておくことができる。感覚としては秘書が付いているようなもの。

ただし、今の「システム」(たとえば iPhone + ネットの向こう側のサービス)は、ヒトの秘書のように自分の代わりに予定を立てたりはしてくれない。自分で立てた予定をひとつひとつ入力しておかなければならない。Googleは言う、「近いうちに、そんなメンドウなことをしなくても良くなるよ」と。

ネット(cloud)上に保管されたメールを始めとする個人データを検索し、予定だと思われる日時を拾い出しリマインドしてくれる(「明日はパートナーの誕生日ですよ」)。今いる場所を割り出して、何をすべきかを教えてくれる(「ほら、そこのコンビニで牛乳を買っていかないと」)。

うんうん、それも良いかもね。あれこれ指図されると思うと、うっとおしい気もするけれど、代わりに覚えておいてくれて、適当な時と場所で思い出させてくれると考えれば、楽で良いよ。もっとも、あんまり甘やかされるのも問題かもな。

2008-11-28

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #7

Building a future that's clean and green -- Posted by Bill Weihl, Green Energy Czar (9/22/2008)

But for that vision to become real, the technologies to power it will have to be economically competitive -- otherwise they won't scale. So we are focusing much of our effort on technology innovation to drive down the costs of key renewable technologies.

これからの10年の間に、世界はより清潔に、緑あふれるようになる。それを夢見ている、と。ただしそのためには、エネルギーに関する新技術(ないしは既存のものへの革新)が必要である。さらに、それが従来の化石燃料を燃やしたり、重い元素を分裂させたりと言った方法とくらべて「安い」ものでなければならない。でないと、普及しないから。だから(Googleでは)既存の(革新可能な)技術のコストを下げることに注力している、と。

まあ、そんな内容。無闇に新しい代替手段を求めるのではなく、すでにあるけどコスト的に見合わないものを、競争力のある程度にまでコストを下げる方法を探る、という現実的な路線を選ぶところがgoogleっぽい、ってところかな。

Sorting 1PB with MapReduce ([著]Grzegorz Czajkowski, [版]Official Google Blog)

Official Google Blog: Sorting 1PB with MapReduce

Sometimes you need to sort more than a terabyte, so we were curious to find out what happens when you sort more and gave one petabyte (PB) a try. One petabyte is a thousand terabytes, or, to put this amount in perspective, it is 12 times the amount of archived web data in the U.S. Library of Congress as of May 2008. In comparison, consider that the aggregate size of data processed by all instances of MapReduce at Google was on average 20PB per day in January 2008.

It took six hours and two minutes to sort 1PB (10 trillion 100-byte records) on 4,000 computers. We're not aware of any other sorting experiment at this scale and are obviously very excited to be able to process so much data so quickly.

...Where do you put 1PB of sorted data? We were writing it to 48,000 hard drives (we did not use the full capacity of these disks, though), and every time we ran our sort, at least one of our disks managed to break (this is not surprising at all given the duration of the test, the number of disks involved, and the expected lifetime of hard disks).

ペタは 2^50。って、正直言って、一般人じゃ想像の及ばないスケールになっている。

そして、スケール感にくらまされて見落しがちなのが次の段落にある「1PB のデータをどこに置く?」ってこと。「うん? HDD をいっぱい用意すればいいんじゃね?」と、ここまでは想像がつく。けどその先、1回ソートを実行すると、48000個の HDD のうち1個が必ずぶっこわれる、ってことまでは気が届かない。

日常のスケールでは問題にならない信頼性(の高さ)でも、極端なスケールを扱う場合には欠陥として浮上してくる。そういう問題を扱うときには相応の対策が必要なのだ。指摘されれば理解できるけど、経験がないと気付けないよねえ。実際、こういうレベルのスケールを扱ったことのあるヒトって少ないでしょう? まったくビックリだよ(;゜Д゜)

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2008-11-16

STUDY STYLE LIFE HACKS 勉強法 ([著]佐々木正悟, [版]Gakken)

まずは自分のタイプを自己診断してみる。

暗記型と理解型 → 理解型

好奇心型と目的達成型 → 好奇心型

独習型とスクール型 → 独習型

以下にそう判定する理由を本文からの引用で示す。

理解型の理由

p.16
一般の書籍のようにこぼれ話やエピソードなどいろいろなことが「書いてある」のを読んでみて、面白いと感じる人は、理解型勉強法が向いているでしょう。そうした人は理解することが自然と面白く感じられる人なのです。

好奇心型の理由

p.23
勉強することで収入がアップしたり称賛されればそれはそれでうれしいかもしれませんが、その喜びはあくまでも付加的・二次的なものであって、勉強する理由は勉強したいから

独習型

p.27
「ひとりのほうがずっと気楽・・・(後略)・・・」

2008-10-31

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #6

Wiping out the next smallpox -- Posted by Dr. Larry Brilliant, Google.org (9/23/2008)

There is no Nobel Prize for "Preventing a Pandemic," and the hardest part about working in this field is imagining the unimaginable.

「パンデミック(感染爆発)を防ぐことに対するノーベル賞はない」
それは地味な(それでいて困難な)活動なのだ。

ある病気(伝染病)の治療法や予防法を発見したら、ノーベル賞も夢ではないかもしれない。けれど、「発見した」だけで自動的に世界から病気が消えてなくなるわけではない。病気の根絶は不可能ではないにせよ、人、カネ、物を大量に必要とする活動なのだ。

google.org では、さまざまな技術を駆使して「パンデミック」と闘っていくよ、と。地味(で困難)な活動だからこそ、われわれ(Googleとその賛同者たち)はチャレンジするんだ、という意思が読み取れる。

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #5

The intelligent cloud -- Posted by Alfred Spector, VP Engineering, and Franz Och, Research Scientist (9/18/2008)

It will be used by billions of people and learn from an aggregate of potentially trillions of meaningful interactions per day.

When combined with the creativity, knowledge, and drive inherent in people, this "intelligent cloud" will generate many surprising and significant benefits to mankind.

並列化によりコンピュータの処理能力が向上(50~100倍)すること、より多くの人々が様々な機器によってネットとつながること(新しい機器も登場する)。これにより、空前の処理能力を使って巨大なスケールの情報を扱う「賢い」システムが出現する。さらに、そのシステムは(その能力を使う)人々と相互作用することでさらに「学び」(人が持つ創造性、知識、意思をもデータとして取り込むことができるようになる)、賢さを増していく。といような内容。

一言で言うなら、量から質への転化、ってことなんだけど、どのようにして、その転化が現れるのかを(一例で良いから)書いて欲しいもの。

単純にウェブページを検索できるだけなら役に立たない。PageRankのような「しかけ」を入れることで Google は検索エンジンとして成功した。けれど Google の検索結果を見て「賢い」とは誰も思わないだろう。検索できること、さらにそこそこ有用な結果が返ってくることで「便利になったなあ」とは思うけれども。

何が何と、どうつながっていくと「賢さ」が現れるのだろう?

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #4

The future of online video -- Posted by Chad Hurley, CEO and Co-Founder, YouTube (9/16/2008)

Ten years ago the world of online video was little more than an idea.

Today, there are thousands of different video sites and services.

Today, 13 hours of video are uploaded to YouTube every minute,

In ten years, we believe that online video broadcasting will be the most ubiquitous and accessible form of communication.

10年前、オンラインビデオはごく一部の人だけが使えるものだった。今日では、何千ものビデオサイトができ、YouTube には毎分、13時間分の動画が投稿されるようになった。次の10年では、オンラインビデオが人々のコミュニケーションの中心メディアとなるだろう。

と、そんな内容。短かいから余計に感じるのだけど、読むべき内容はあまりない。なぜこうなったとか、どうしてそうなるというような「中身」がないのだ。

2008-10-27

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #3

The social web: All about the small stuff -- Posted by Joe Kraus, Director of Product Management (9/14/2008)

What makes two friends feel "close" to one another? I'd argue that a big part of it is the small details that you know about each other.

In the coming decade, the web will become as effortlessly social as chatting with your family or roommates at home is today. Social features will be embedded and around and through all variety of spaces and places on the web.

Fast forward ten years, and you'll feel even more at home on the web than you do today - because it will be a pretty good reflection of you.

"近しさ"は小さなコトを知り合うことにある。なぜなら、小さなコトを知ることは、離れていると難しいから。この先の10年で、ウェブには"近しさ"を感じるための仕掛けであふれるようになるだろう。というような内容。

2008-10-16

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #2

The democratization of data -- Posted by Hal Varian, Chief Economist (9/21/2008)

ITは「データの民主化」を可能にした、と。これは平たく言うと、昔は(といっても10年とか15年ぐらい前だけど)、一部の巨大企業だけが収集し、分析し、評価することができた大量のデータを、今では誰でも扱うことができるぞ、ということ。

コンピュータの変遷、とくにマイクロプロセッサとインターネットのそれを見てきた人なら、この「大量のデータを誰でも扱えるようになった(それも手軽に)」という指摘に同意するだろう。その変化の波を一番うまく乗りこなしたのが他でもないGoogleだ。「Googleを支える技術」でその一端が明らかにされたように、Googleの内部では日々、大量の(本当に大量の)データが処理され続けている。われわれはその成果を無料に近いコストで享受している。「Google以後」に成長した世代には、Google(とそれを可能にしたIT)が存在しなかったときに、人がどうやって暮らしていたかが想像できないかもしれない。

で、最後はこう問う;

what can big companies do now that small companies can't currently afford?
今はまだ小さな企業にはできなくて、大企業だけができることにはどんなものがある?

例として挙がっているのは、コンサルタントや専門家を雇うこと、多年にわたるデータに基づいた市場分析(むむむ、自信なし; marketing intelligenceって何?)、宣伝活動をともなう実験、多数の国々で販売活動をすること。これらはいずれITによって「民主化」される、と。でもって、Googleはそれを促進したいんだ、と。

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog)

先月、Google が10歳になった。以下は、そのときにポストされた一連のエントリ。

Google Reader で☆を付けて放ってあったんだけど、今日、そのうちのいくつかを斜め読み。

改めて、タイトル(と著者)を並べてみると;

10歳になったGoogleが今何を考えているかが、ここから透けて見えるだろうか? ちょっと、読んでみようか(英語なんで短かめの奴から)。

2008-10-05

ハイドゥナン (上/下) ([著]藤崎慎吾, [版]ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

蛍女」が生き物がすべてつながっているんだ〜、という物語だったとすれば、「ハイドゥナン」は地球にあるもの(地球を形づくっているもの)すべてがつながっていたっていいじゃん、というような物語。

記憶が情報の蓄積だというなら、素子(ユニット)の状態の変化によって情報を蓄積できるというなら、そして万物は相互作用によって存在の状態を変化させるというなら、石に記憶があったって不思議じゃない。記憶の集積が人格だというなら、石の集合(である地球)に意識があってもおかしくない。

仮に、石の記憶が幽か(かすか)なものであっても、大きな塊になれば量から質への転化が起きるかもしれない。たとえ、相互作用がとてもゆっくりとしたものであっても、億年という単位でなら意味をつむげるかもしれない。

ここまでは良いんだけど、ここから先、つまり石の記憶、地球の意識が、ヒトという意識を顕在化させた存在と対話できるんじゃないか、となるとちょっと飛躍がある。ここで言う「ヒトの意識の顕在化」っていうのは石や地球のそれにくらべて、単位質量(?)当たりの情報処理量とその速度が文字通り、ケタ違いであるという意味。

地球が意識を持つのは良い、古来一部のヒトはそれを感知することができそれを神と呼んだ、それも良い。けど、その神と言語によってリアルタイム(ヒトの時間感覚)で対話できるというのは、さすがにちょっとファンタジーだ。

神(地球の意識)とその巫女が人々を導くという物語の流れは良いとして、事態を収める剣は「科学」であり、剣を振るうのは神とは交流できない(普通の)人々だと描いてほしかった。けれど、それは人類中心の古い価値観(自然観)なのだろう。

ちなみに、この作品はすでにハヤカワ文庫JAとして文庫化されている(4分冊!)。

2008-10-04

もっとも美しい数学 -- ゲーム理論 ([著]トム・ジーグフリード, [訳]冨永星, [版]文藝春秋) #5

以下、要約のようなメモ。

第三章

  • 二人ゼロ和ゲームについてのノイマンの理論は実生活には応用できなかった。
  • ナッシュは「交渉問題」の研究から、多数のプレーヤーが参加するゲームにおいて、各プレーヤーの利得が最大になるような混合戦略の組が存在することを示した。
    交渉問題
    二人ゼロ和ゲームとちがい、交渉次第でプレーヤー全員が利益を手にする可能性がある。
  • → ナッシュ均衡
  • ナッシュの数学によって、ある社会状況がどのように安定するかが理解できるようになった。
  • ナッシュの数学を使って、ゲーム理論学者たちはさまざまな"ゲーム"を生み出した。
  • → 例: 囚人のジレンマ
    ナッシュの理論によって、"協力する"組み合せが不安定であることがわかる。
  • ナッシュの理論以後、ゲーム理論はさまざまな分野で使われるようになっている。
  • 一番、派手に力を発揮したのが生物学の分野だった。

さらにまとめると・・・潜在的な応用の可能性はともかくとして、実用性に乏しかったそれまでのゲーム理論が、ナッシュの貢献によって実用性が開花した、と。

2008-10-01

iPhone HACKS! ([著]小山龍介, [版]宝島社)

全体は4部(chapter)構成。それぞれのタイトルは以下のとおり。

  • CHAPTER 01: スケジュール ハック! -- 「コントロールとロックンロール」
  • CHAPTER 02: コミュニケーション ハック! -- 「シナプスとパピルス」
  • CHAPTER 03: 情報 ハック! -- 「ログとカタログ」
  • CHAPTER 04: 発想 ハック! -- 「モードとムード」

それぞれの chapter のサブタイトル(というか「」でくくられた部分)が内容を象徴する言葉。筆者によれば「コンセプトをひとことに集約」(p.123)してあるとのこと。韻を踏むペアになっていて覚えやすい。個人的には「ロックンロール」と「パピルス」はピンとこないけど、「ログとカタログ」、「モードとムード」はペアの語呂も良いし、何より言葉とコンセプトが直結している。つまり・・・

(p.178 - 179)
・・・無意識に行っていることも含めてログに残していき、・・・
・・・自分自身の情報を公開するようになると、・・・
・・・まるでカタログを眺めるようにして、さまざまな情報を眺めることができます。
・・・ログを残しながら、同時にそれが誰かにとってのカタログになっていく。

というのが「ログとカタログ」。一方・・・

(p.220)
ここで紹介しているハックは、こうした他人への依存から脱却するテクニックでもあります。自分でモードを設定することで、自分でムードを作っていく。他人に影響されないで、自分で自分の気持ちをコントロールする。

「モードとムード」はこんな感じ。

ここで出ていくる「コントロール」がキーワード。CHAPTER 01 でもスケジュールを作って、その通りに行動するっていうのは「自分で自分自身をコントロールする。自分の時間をコントロールする」(p.66)ことだとある。その直後には、こう書かれている。

(p.66)
それは、他人に流されることなく、自分自身のリズムで生きていくということでもあります。

思えば「ハック」というのは、困難な状況をどうにかするための行動、言い換えれば、自分にとって都合の良いように状況をコントロールするっていうことなんだろう。だから「ライフハック」は人生を自分自身をコントロールすることを意味するのだ。なるほど〜(`・ω・´)

2008-09-27

ヴァルプルギスの後悔 Fire1. ([著]上遠野浩平, [版]電撃文庫)

上遠野浩平の作品はどれもつながっている。それが単一の世界のさまざまな局面を描いているからなのか、複数の良く似た世界群の記述だからなのかはわからない。わからないのは気持ちが悪いんだけど、長く読み続けていると「ま、いいか」と思えてくる。謎を解こう、秘密を暴こうと言うよりも、あいまいなセカイに浸っているので十分。むしろ、すっきりしないところが次の作品を待つ気持ちにさせる。

さて、本作はブギーポップシリーズの外伝(SFマガジンの書評によれば"スピンオフ"小説)。タイトルに「1」が入っているから予測できるけど "To Be Continued" で終わっている。主人公は「炎の魔女」こと霧間凪。「炎の魔女」はお気に入りのキャラクターなんだよねえ。っていうか、ブギーポップのシリーズは凪が主人公でしょ? 自動的な変身ヒーローの方じゃないよね?

2008-09-23

もっとも美しい数学 -- ゲーム理論 ([著]トム・ジーグフリード, [訳]冨永星, [版]文藝春秋) #4

以下、要約のようなメモ。

第二章

  • ゲーム理論は経済学の普遍的な体系になりうる。
  • → アダム・スミスの思想のニュートン化
  • 「ゲーム理論と経済行動」(ノイマン, モルゲンシュテルン)
  • → 近代ゲーム理論の成立
  • 二つの単純な着想:
    • 効用: 求めるものを測る尺度
    • 戦略: どうやって手に入れるかという手段
  • たいていの場合、効用は自明ないしは明確に定義できる(と考える)。一方で、戦略は単純ではない。
  • ノイマンが証明したこと:
    • 二人ゼロ和ゲーム全般について
      実行可能な最良の戦略を見つける術が存在する。

さらにまとめると・・・近代ゲーム理論はノイマンに始まり、それは戦略についての研究である。さらにノイマンはモルゲンシュテルンとの共著でゲーム理論が経済学のための数学になりうることを示唆した、と。(ちょっと長いゾ)

2008-09-22

もっとも美しい数学 -- ゲーム理論 ([著]トム・ジーグフリード, [訳]冨永星, [版]文藝春秋) #3

以下、要約のようなメモ。

第一章

  • ニュートンが物理世界に対して打ち立てた自然法則という概念を、経済交流という社会的な世界に対しても導き出そうとした。それがアダム・スミスの国富論である。
  • 国富論で描かれた法則はダーウィンの進化論にも影響を及ぼしている。
  • 世界を科学的に理解し、要約した三部作:
    • ニュートン: 「プリンキピア」
    • スミス: 「国富論」
    • ダーウィン: 「種の起源」
  • 20世紀半ばに登場した「ゲーム理論と経済行動」(ノイマン, モルゲンシュテルン)はこれに匹敵すると言われる日が来るかもしれない。

ちょっと、スミスの「国富論」に興味を引かれた。

もっとも美しい数学 -- ゲーム理論 ([著]トム・ジーグフリード, [訳]冨永星, [版]文藝春秋) #2

以下、要約のようなメモ。

序章

  • ゲーム理論は、人間の行動をより深く理解し、未来を予測しようという目的の下で生まれた
  • 21世紀に入るころには、人類学から神経生理学に至るまでの広範な分野で使われるようになった。
  • ゲーム理論は、すべての科学が研究対象としている現実世界の規則性を映し出す非常に強力な方法を提示している。
  • その数学を使えば、アシモフが思い描いたように、文明の文化や経済や政治といったものを作り出す集団としての社会的振る舞いが説明できる。
  • 人間の相互作用に見られる自然な秩序を理解するための鍵。
  • その中で、もっとも早い時期に形となり、強い影響力を持ったものの一つが「経済システム」という概念である。

さらにまとめると・・・ゲーム理論は集団としての人の振る舞いをモデル化するための数学理論である、となるか。

もっとも美しい数学 -- ゲーム理論 ([著]トム・ジーグフリード, [訳]冨永星, [版]文藝春秋)

もっとも美しい数学 ゲーム理論
トム・ジーグフリード
文藝春秋 ( 2008-02 )
ISBN: 9784163700106
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

2008-09-17

新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く ([著]アルバート=ラズロ・バラバシ, [訳]青木薫, [版]NHK出版) #6

まとめ

15章。

第15章 クモのいないクモの巣

スケールフリーネットワークは自己組織化する構造であり、クモのいないクモの巣である。

新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く ([著]アルバート=ラズロ・バラバシ, [訳]青木薫, [版]NHK出版) #5

スケールフリーネットワークの実例

11章から14章。

第11章 目覚めつつあるインターネット

スケールフリーネットワークの実例としてのインターネット。その歴史と展望がまとめられている。

(p.226)
パラサイト・コンピューティングはこの設定を利用して、コンピュータには普通に通信をさせておきながら、マスターホストのコマンドに応じてコンピュータに強制的に計算をさせようというアイデアだ。これを実行するために、われわれはある複雑な計算問題を、合法的なインターネットのリクエストに見せかけた。コンピュータがパケットを受け取ると、そのパケットが旅の途中で傷まなかったかどうかをチェックする手続きがとられる。その計算をするうちに、コンピュータはわれわれが与えた数学の問題を解き、それをパケットに暗号化して組み込むのである。

これについては聞いたことがなかった。なんというか「SF」的なアイデアだ。ネットのどこかで創発が生まれていたりするのかも。

第12章 断片化するウェブ

スケールフリーネットワークの実例としてのWWW。単方向リンクが持たらす特性が示されている。

  • ネットワーク全体は、四つの大陸に分断されている。
  • 全貌を誰も知らない。
    • → 検索エンジン(ロボット)が訪ずれるのは 40 % (1999年当時)に過ぎない。
第13章 生命の地図

スケールフリーネットワークの実例としての「細胞内における化学反応」ネットワーク。

  • 代謝における化学反応ネットワーク
    • → 大多数の生物で、ハブとなる分子(上位10まで)が共通:
      1. ATP
      2. ADP
  • タンパク室の相互作用ネットワーク

これら細胞内のスケールフリーネットワークはどのようにしてできあがったのか?

→ タンパク質のネットワークの場合は、遺伝子コピーの際の遺伝子重複という種類のエラーによって作り上げられたと考えられる。ただ、これが唯一の要因とは限らないし、代謝ネットワークについては、当てはまるかどうか不明。

遺伝子を解読しただけでは生命現象の持つ複雑さ、多様性を説明できない。ネットワークこそがカギとなる。生命の(細胞内の化学反応の)ネットワークを解明することで、ヒトの病気の治療に役立つ。

第14章 ネットワーク経済

スケールフリーネットワークの実例としての「経済(ビジネス)世界で見られる様々なネットワーク」

  • (大企業の)取締役会: ハブが存在する。
    • → ここで言うハブは、複数の企業の取締役会に属している役員のこと。
  • シリコンバレーの従業員ネットワーク

これらビジネスの世界におけるネットワークがスケールフリーネットワークの特性を示すことの事例として以下が挙げられている:

  • カスケード故障(cf. p.172): アジア通貨危機
  • ウイルス的伝播(第10章): Hotmailの成功

新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く ([著]アルバート=ラズロ・バラバシ, [訳]青木薫, [版]NHK出版) #4

ネットワークの特性

9章と10章。

第9章 アキレス腱

ハブを持つネットワーク(適応度付きの成長するスケールフリーネットワーク)は以下のような特性を持つ:

  • 故障に強い
  • (意図的な)攻撃に弱い
第10章 ウイルスと流行

(第9章の続き)
ハブを持つネットワークは以下のような特性も持つ:

  • ウイルスのような感染(ウイルス感染型の拡散)に弱い

言い方を変えれば、これがネットワーク(ハブを持つ・・・)の中を「何か」が拡散するときに示す特性。

2008-09-14

新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く ([著]アルバート=ラズロ・バラバシ, [訳]青木薫, [版]NHK出版) #3

ネットワークモデルの進展

2章から8章まで。

第2章 ランダムな宇宙
  • ランダムネットワーク
    • グラフ理論 (ケーニヒスベルクの橋問題)
    • エルデシュ
  • → 巨大クラスターとなる(全てのノードがつながる)。
  • → 現実を写しとったモデルとは言えない。
第3章 六次の隔たり
  • ランダムネットワークは参加するノードの数とくらべて、直観に反するほどノード間の距離が小さい。
  • → 小さな世界
    • → 巨大クラスター(全てがつながる)となるから。
第4章 小さな世界
  • エルデシュ=レーニィのランダム・ネットワークモデル
    • → ネットワークが巨大な(単一の)クラスターになる(全てがつながる)。
  • グラノヴェッター
    • → 社会は高度に相互連結されたクラスタ構造 ⇒ ワッツ=ストロガッツのモデル
    • → 様々な(現実の)ネットワークにクラスタ構造が見られることがわかってきた。
第5章 ハブとコネクター
  • ハブとコネクターが存在する。
    • → クラスター構造でもない。
  • 三つの疑問
    • ひとつのネットワークに対し、ハブはいくつ存在するのか(できるのか)?
    • どのようにしてハブはできるのか?
    • なぜ、これまでのモデルではハブの存在を説明できないのか?
第6章 80対20の法則
  • スケールフリーネットワーク
    • → ベキ法則にしたがうネットワーク
    • → ハブが存在しうる。
  • 自己組織化、相転移が起きるときスケールフリーネットワークが出現する。
第7章 金持ちはもっと金持ちに
  • (現実の)ネットワークはランダムではない。
    • → 成長する。
  • ノードは平等ではない。
    • → 優先的選択(多くのリンクを持つノードほど、さらにリンクを獲得しやすい)
  • 「進化するネットワーク」の理論
    • → 自己組織化も相転移もいらない。成長と優先的選択という組織化の原理で説明できる。
第8章 アインシュタインの遺産
  • 「進化するネットワーク」の理論により生まれるスケールフリーネットワークには新入りが成功する見込みがない。
    • → これも、現実とは異なる。
  • 優先的選択に対して、適応度を取り入れる。
    • → 競争と成長による適応度モデル
    • → 新入りが生まれる余地ができる。
  • 「一人勝ち」ネットワーク
    • ある種のスケールフリーネットワーク(適応度つき)では「一人勝ち」が起きる。
    • → マイクロソフトがその実例

新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く ([著]アルバート=ラズロ・バラバシ, [訳]青木薫, [版]NHK出版) #2

導入

第1章がこの部分。

  • 還元主義の限界
  • 部分を組み上げることができない。
    • 複雑性
    • 自己組織化
    • → どちらも「ネットワーク」がキーワード
  • ネットワークの普遍性
    • どこにでも見つけることができる。
    • → ネットワークで世界を理解できるのでは?

邦題の副題にもなっているように、世界のしくみを理解することが本書の目的。ネットワークの理論を通して、世界を見るということ。

新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く ([著]アルバート=ラズロ・バラバシ, [訳]青木薫, [版]NHK出版)

構造

内容
1 導入。目的定義。
2 〜 8 ネットワークモデルの進展
9 〜 10 ネットワークの特性
11 〜 14 スケールフリーネットワークの実例
15 まとめ
新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
アルバート・ラズロ・バラバシ
NHK出版 ( 2002-12-26 )
ISBN: 9784140807439
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

2008-09-06

時砂の王 ([著]小川一水, [版]ハヤカワ文庫/HJA901)

眠る前にちょっとだけ、と読み始めたら一気に読了。金曜の夜で良かったよ。

時間SFとしては「夏への扉」のような感じか? いやいやエンディングを思えば「未来からのホットライン」(J.P.ホーガン)を思い出させるかな。戦争SFっぽさを見るなら「宇宙の戦士」か。いやそれより「終わりなき戦い」(ジョー・ホールドマン)と言うべきか。

読み終えてすぐに思ったこと。「これアニメ化しないとダメでしょ」。

2008-07-14

理性の限界 -- 不可能性・不確定性・不完全性([著]高橋昌一郎, [版]講談社現代新書)

「序章 理性の限界とは何か」と「第一章 選択の限界」を読んだ。序章を読んでいるときはそれほどおもしろそうには思わなかった。第一章を読んで印象が変わった。いやあ、オモシロイ。

アロウの不可能性定理(Wikipediaでの表記はアロー)っていうのは初めて知ったのだけど、これが何ともおもしろい。民主主義っていうか、選挙に代表されるような投票という行為をモデル化し、「おいおい、お前らが大事にしている民主主義って、実は不可能なんだぜ」ってことを証明してしまった、とか。それでノーベル賞(経済学)を受賞した、とか。

もちろん、不可能なのはモデル化された民主主義(それも完全民主主義っていうらしい)であって、実在の制度やら何やらに不備があるとかどうとうか、そういうことではない。まあ、第一章を読んでいると、不備だらけだろっ、って思えるけど。

オモシロイのは民主主義が不可能だとかそういうことではなくて、民主主義なんていう数学(や科学)とはおよそかけ離れたところにありそうなモノが、少数の条件(この本では 2 + 4 で 6つの条件が挙げられている)でモデル化できるってこと。この定理の存在を知ることができただけでも、この本を買って読んだ(まだ 1/3 だけど)価値がある。

序章では、人間の理性(哲学系らしいからねえ、科学系ならヒトの知能とか知性って表現するだろうけど)に対して 3 つの限界を提示している。すなわち「選択の限界」「科学の限界」「知識の限界」。このうち「選択の限界」に当たるのがアロウの不可能性定理だ。残りの 2 つは、それぞれ「ハイゼンベルクの不確定性原理」と「ゲーデルの不完全性定理」。サブタイトルにある 3 つの「不*性」がここに現れる。

2008-07-10

iPodは何を変えたのか? ([著]スティーブン・レヴィ, [訳]上浦倫人, [版]SoftBank Creative)

今、第九章を読んでいるところ。熱い。グッとこみ上げてくるものがある。このあたりはレヴィの真骨頂だねえ。「ハッカーズ」も「マッキントッシュ物語」も熱い本だった。

iPod とは初代からの付き合い。ほとんど 7 年がたったんだねえ。初代は壊れてもう動かない。肥大化する一方のライブラリに対応するために買った四つボタン(第三世代)はまだ動くけど使っていない。それどころか、さらに肥大化したライブラリのために買ったVideo iPod(第五世代)すらホコリをかぶった状態が続いている。今の主力は nano (第二世代; 8Gの黒)。実は nano も二台目。第一世代の白 nano は黒 nano が出るまでは主力だった。あ、そうそう、ほとんど使うことはなかった初代の shuffle もある。

「第六章 アイデンティティ」。iPod のライブラリを人とくらべるとか、見せるとかっていう発想はなかったわ。なんか、ちょっと恥ずかしいし。あ、それは人に見せられないような曲やら歌やらばっかり聴いているってことか。(´・ω・`)

「第八章 シャッフル」。うん、ここを読んでから数日というもの、nano をずっとシャッフルで聴いている。普段はどちらかというと、同じ曲を何度も何度もリピートしているタイプなんだけど、シャッフルも良いね。通勤で、本を読みながら聴いていて(というか聴きながら本を読んでいて)、思わぬ曲が不意打ちでかかって読むのが止まってしまうこともあったり。

第九章を読み終わったら、また改めて書くことにしよう。

iPodは何を変えたのか?
スティーブン・レヴィ / ソフトバンク クリエイティブ ( 2007-03-29 ) /アマゾンおすすめ度

2008-06-24

史上最大の発明アルゴリズム -- 現代社会を造りあげた根本原理 ([著]デイビッド・バーリンスキ, [訳]林大, [版]早川書房) #2

第2章の話題はペアノの公理。

第3章は形式的な命題計算について。読んでいてGEBを思い出した。

この本、アルゴリズムが話題なのか? いや、アルゴリズムという言葉の意味が、わたしの思うものと少しずれているようだ。プログラムの「ロジック(ステップとして表された手続き)」を意味するそれではなく、計算とは何かという問いへの答えとしての概念なのだ。だから、(目次によれば)後半でゲーデルやチューリングの名前が出てくるのだろう。

GEBを思い出すのも当然か。

2008-06-15

史上最大の発明アルゴリズム -- 現代社会を造りあげた根本原理 ([著]デイビッド・バーリンスキ, [訳]林大, [版]早川書房)

読みにくくはないんだけど、なんとも不思議な印象を受ける文体だ。「訳者あとがき」に「奇書と言ってもいいくらいである」というのも、読み出してみると納得できる。

「まえがき」「プロローグ 宝石商のビロード」「第1章 スキームの市場」まで読んだところ。第1章ではライプニッツが話題の中心。ライプニッツといえば、ニュートンと並んで微積分の創始者として有名。さらに「訳者あとがき」によれば、

十七世紀にゴットフリート・ライプニッツは、計算機を組み立て、この世界に関するあらゆる真理が体系化される普遍的な書記法で書かれた記号言語を思い描き、あらゆる概念のリストを構想し、記号の機械的操作だけであらゆる問題に結着をつけてしまうアルゴリズムを想像することを夢想した。

とある。ただこれらは完成されることはなく、構想や夢想で終わってしまったようだけど。著者はその構想がアルゴリズムの始まりだったと言う。ちなみに↑の「訳者あとがき」からの引用と同じ内容を、この著者が表現するとこんな感じになる(p.31):

しかし、普通の人が普通の百科事典に関心を抱くところを、ライプニッツは、その他のもの、それ以上のものに関心を抱いた。人間の概念の百科事典、人間の思考一式 -- 人間性、復讐、敬虔、美、幸せ、善、快楽、真理、貪欲、衛生、手続き、合理性、礼儀正しさ、機敏さ、運動、気難しさ、従順さ、マナー、正義、能力、戦争、芸術、計算、義務、仕事、言語、たわごと、情報、女性、公平 -- 人間が抱く概念すべて、したがって人間の考えることすべてを包括的に含む百科事典だ。

奇妙な「読み味」だよね。

2008-06-09

本を読む本 ([著]M.J.アドラー/C.V.ドーレン, [訳]外山滋比古/槇 未知子, [版]講談社学術文庫) #2

最近(Leopard をインストールしてからだから、2008/01あたりから)、本の目次を書き写すということをよくやるようになった。VoodooPad というハイパーテキストエディタを使って、本のタイトルを名前とするファイルを作ってそこに目次を書き写す。で、中身を読み進むに応じて、読んだ印象やら引用やら何やら、あれこれをそこにメモしていく。ハイパーテキストはこういう使い方に適している。

で、この「目次を書き写す」という行為には目的があった。目的というよりも、いらだちにも似た思いがあった。それは、読まずにたまっていく本が多い(ほとんど?)中、どの本にどんな内容が書いてあるのかだけでも把握したい、というもの(読めばいいだろ、というツッコミは勘弁)。買って間も無くなら何が書いてあるのか、いや少なくとも何を読みたくて買ったかは覚えている。時間がたつと記憶も思いも薄れる。それどころか、どんな本を買ったのかということすら忘れていることがある(これは年をとったせいか?)。

技術的な本なら、目次にはキーワードやら内容の概略やらが表れている。それをデジタルファイルの形に変換しておけば「検索」できる。具体的に言えば、Spotlight が届くようになる。

こんな動機で「目次写し」を続けているのだけど、「本を読む本 ([著]M.J.アドラー/C.V.ドーレン, [訳]外山滋比古/槇 未知子, [版]講談社学術文庫)」 に、まさにこれに相当する手法が書かれていた(p.39 - 51)。すなわち、「点検読書」の最初のステップである「組織的な拾い読み、または下読み」(の一部)に相当する。このステップは以下のように細分化されている:

  1. 表題や序文を見ること。
  2. 本の構造を知るために目次を調べる。
  3. 索引を調べる。
  4. カバーに書いてあるうたい文句を読む。
  5. その本の議論のかなめと思われるいくつかの章をよく見ること。
  6. ところどころ拾い読みしてみる。

ここまでで点検読書の前半(最初のステップ)が終わる。ここまでに数分間から長ければ一時間をかける。これにより、その本のことが(読む前よりも)よくわかったはずだし、何より「もっと深く分析して読む必要があるかないかがわかった」はずだ、と著者は言う。さらに、「いつでも参照できるように、頭の中の図書カタログにおの本がきちんと納められているはず」だとも。わたしの場合、この部分については生身の脳が信頼性に欠けるので、Mac (と Spotlight)に任せてある。

さて、点検読書の後半は何か? それは「表面読み」。とにかく読み通すこと。最初はそれだけを心がける。わからないところはひとまず置いて先に進み、通読する。難しいところは再読、三読の機会にとっておく。これの肝は以下の引用にある考え方。

世の中には「拾い読み」にも値しない本が多いし、さっさと読み通す方がよい本もかなりある。ゆっくりとていねいに読んで、完全に理解しなくてはならない本はごく少数しかない。速読の方が向いている本に時間をかけるのは無駄というものだ。

点検読書は何のためにやるのか? それは、より深い読み方をする価値があるかどうかを判定するため、である。

ふむふむ。つまりわたしの読書レベルは、最近ようやく点検読書の前半をやるようになった、というところか。これまでは点検読書のことなど思いもせず、最初のページから読み始めて、ひっかかりがあるとそこから進まず、その結果通読できずに放り出すことが多かったからなあ。そのくせ、小説なんかはストーリー(結末)が気になって、どんどん飛ばし読みになったりする。読み方がちぐはぐだったのか・・・orz

2008-06-04

アラル海 消失の教訓 ([著]P.ミックリン/N.V.アラジン, [収]日経サイエンス 2008年7月号)

食事をしながらTVを眺めていて巨大な湖が消えたとかいうVTRを見た。その湖の名前がアラル海。2つの川から流れる水がたまってできた内陸の(つまり海とはつながっていない)湖だ。この湖が過去40年以上にわたり水量が減りつづけ、どんどん縮小していると言う。どこかで聞いた、っていうか最近どこかで見た(読んだってほどじゃない)ような・・・。おそらくはサイエンス。で、そこら辺を探して記事を見つけた。

この湖が干上がり始めた原因は、ソ連時代に行われた大規模な灌漑事業。要は、綿花や米などの作物を作るために前述の2本の川の水を途中で使ってしまった、ということ。それもとんでもない規模で。いったいどれだけの綿をつくったんだ?

(p.96)
ソビエト連邦はアラル海の瀕死状態を何十年も隠し続けたが、1985年にゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)書記長が環境と人類に関するこの重大な悲劇をようやく明らかにした。

湖、それも世界第4位の大きさだったものが消えていくのを隠し続けたって、そんなことができるのか・・・。いやまあ、よその国の奥で起きていることは見えないかもね。

うん? でも、今なら Google Earth があるゾ。誰でも見られるんじゃないか?

早速、Google Earth で見てみた。

カスピ海の近くだということで探してみると、地球儀状態からでもすぐに見つかった。どんどんアップにしていくとそれらしい湖が見えてきた。おや、そんなに小さくない。っていうかサイエンスの2007年だとなっている写真よりずっと水が多い。むしろ1997年に近いんだけど (・ω・)?

UNEP」というアイコンがあったのでクリックしてみる。「ATLAS OF OUR CHANGING ENVIRONMENT」と題したウィンドウがポップアップする。英文の解説はサイエンスの記事に書いてあるようなこと。で、"Overlay images on the Earth surface" というリンクをクリックしてみる。レイヤが追加されて、1973、1986、1999、2004-09-22、2006ー09ー09の5つのアラル海の(過去の)姿を重ねて表示することができるようになった。全部重ねた上で、過去から順に非表示にしていくと何が起こったかが一目瞭然。かつては琵琶湖100個分だった湖(海)が消えていく過程がわかる。

たしかに Google Earth で、10年前なら見えなかったような場所まで、誰でも手軽に見られるようになった。けど、これってある時点のスナップショット(それもツギハギ)なんだよね。この先、5年、10年と Google Earth が地球の画像データを蓄えていったとしたら、そのうち、過去の地球の姿を見ることができるようになるだろうか? 自分の済んでいる街の過去と現在を重ねて見たりできるようになるかな? 100年、1000年と人類の文明(と Google)が続いたら、その間の地球の変化を動画のように見ることができるだろうか?

話をサイエンスの記事にもどそう。

湖が縮小するにつれ、生態系がぶっこわれた。魚が減り、鳥が減り、哺乳動物も減った。周辺地域では砂漠化が進み、住人の健康も害されていった。綿を作るために犠牲となったわけだ。

(p.102)
アラル海の枯渇は40年以上にわたって続いてきた出来事だ。持続可能で長期的な解決方法には、大規模な投資と技術革新だけでなく、政治的・社会的・経済的な大改革が必要になる。

良く言われることだけれど、環境を壊すのは簡単で戻すのは難しい。だから壊さないようにしましょう、これまで小学校や中学校ではそう教わってきた。壊れたものを戻すように努力しましょう、とは言われなかった。壊れたものをどうするのか、そこは触れられてこなかった。

持続可能な世界を目指す現代では事情が異なる。壊さないようにすることはもちろん、壊れたものも修復しなければならない。そして、あきらめて放り出したりしなければ希望はある。そのあたりも記事から引用しておこう。

(p.103)
アラル海の物語は、現代技術社会が自然界とそこに暮らす人々を破滅に導く途方もない力とともに、環境を修復する大きな潜在力を持っていることも実証している。

(p.103)
自然環境は驚くほどの回復力を持っているので、希望を捨てたり環境保護の努力を怠ったりしないこと。多くの評論家がアラル海はもうだめだと見限ったが、実際にはかなりの部分が生態的に回復しつつある。

2008-06-01

レボリューション・イン・ザ・バレー ([著]アンディ・ハーツフェルド, [訳]柴田文彦, [版]オライリー・ジャパン)

ウォズ(Steve Wozniak)の序文、著者(Andy Hertzfeld)による「日本語版へのまえがき」と「はじめに」、さらに「主な登場人物」を読んだ。

「はじめに」からいくつか引用してみる。

初期のほとんどのApple社員は、自分自身を理想的な顧客と見なしていた。Apple IIは芸術作品であると同時に、Appleの社員と顧客が分かち合う夢の実現でもあった。

ここ、大事。試験に出るっていうぐらい大事。

Macintoshの設計チームはWozオリジナルの設計に感化され、その革新的な精神を呼び戻そうとしていた。僕らは再び自分自身の理想的な顧客となり、何よりも自分たちが欲しいと思うものを設計した。

先と同じ内容だけど、先の引用はApple IIという製品について、こっちはMacintoshについて。技術者として、とくにソフトウェアの開発者として企業に雇われていると、「顧客==開発者」であるという構図が成立した場合に良い製品、それも素晴しい製品が生まれやすいことに気付く。例外もあるだろうから法則と呼ぶことはできないけれど、逆にこれが成立しない場合は、使う側にとっても作る側にとっても不満が残ることが多い、いやこちらに関しては確実と言って良い。

そして、もう一つ引用。

僕らが想像した通りの形ではなかったものの、とにかくMacintoshは大成功を収めた。・・・(中略)・・・しかし、大きな視点からすれば、僕らは本当は失敗したのだと思う。なぜなら、今でもコンピュータは、一般のユーザにとってイライラするほど使いづらいものなのだから。Macintoshの夢が完全に実現されるには、まだ長い道のりを歩まなければならないのだ。

Macintosh発売20周年に合わせて本書(の原書)が出版されたが2005年。すでに三年がたつ。むろん今も「イライラするほど使いづらい」状況に変化はない。なんというか、おそらく、著者がここで言う「Macintoshの夢」(それはアラン・ケイの夢とも重なるだろう)がMacそのもので実現されることはもうないだろう。もっと別のカタチで、たとえばiPodやiPhoneのようなモノの向こうにそれは生まれるのかもしれない。

関連リンク

  • Folklore.org: この本(原書)の元になったサイト
レボリューション・イン・ザ・バレー―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏
アンディ ハーツフェルド
オライリージャパン ( 2005-09 )
ISBN: 9784873112459
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

2008-05-22

オブジェクト指向入門 ([著]バートランド・メイヤー, [監訳]二木厚吉, [訳]酒匂寛/酒匂順子, [版]アスキー出版局)

「Design by Contract」について知るため「7章 ソフトウェア構築への体系的アプローチ」をざっと読み。この本、すでに第2版の翻訳も出ている(手元にもある)けれど、まずは原点である第1版の方から確認。

ちなみに、第1版では「契約による設計(DbC)」ではなく「契約によるプログラミング(Programming by Contract)」と表記されている。むろん、意味するところは同じ。

DbCとは・・・以下の3つの条件を表明(assertion)することである。

  • 事前条件 (precondition)
  • 事後条件 (postcondition)
  • クラス不変表明 (class invariant)

事前条件は、ルーチン(関数、メソッド、などなど)を呼び出す側を束縛するもので、呼び出しても良い状態を定義する。事後条件は、呼び出されるルーチン側を束縛し、制御を呼び出し側に返すときに保証しなければならない状態を定義する。クラス不変表明とはインスタンス(個々のオブジェクト)の状態に関係なく、満たされていなければならない条件のこと。

ごく簡単にまとめると、クラス/ライブラリを提供する側と使う側で決まりを作って守りましょう、ということ。単純に提供する側だけに関係する手法ではない。事前条件の確認は呼び出し側の責任とされている。

Eiffel ではこれらをスマートに記述する文法と、実行時の確実なサポートがあるのかもしれない。C/C++なら(Javaも?) assert マクロで引数チェックのようなテクニック(というかコーディング規約かもね)で実現することだし、xUnit なんかの単体テストで確認する方法もある。クラス不変表明は内部状態へのアクセスが必要だとするとクラスの外部から確認するのは難しいだろうね。となると assert 方式か。言語と環境によってはアスペクトを使うっていう手もある(らしい)。

2008-05-21

プレファクタリング -- リファクタリング軽減のための新設計 ([著]Ken Pugh, [訳]木下哲也/有限会社 福龍興業, [版]オライリー・ジャパン) #2

3章を読んだ。ざっとまとめると・・・

アーキテクチャは大事(3.1)。インターフェイスはしっかり決めよう、できれば「Design by Contract」で(3.2)。入力として渡されたデータは検証しないと(これはDbCの裏)(3.3)。暗号のようなコードはやめて(3.4 & 3.5)。コピペすんな(3.6)。記録を残せ、とくに意図/理由/意思を書き残せ(3.7 & 3.8)。いきあたりばったりでエラー処理するな(3.9)。局所的な最適化に夢中になるな(3.10)。(一個飛ばして; 3.11)。ツールはプログラマの代わりにはならない(3.12)。

3.11 は「スプレッドシートの難問」。ここだけ、この章でかなり異質な印象を受ける。他の節ほどわかりやすくない。はっきり言えばわかりにくい。それでも著者の主張を読み取ってみると・・・

ここで言う「スプレッドシートの難問」とは、プログラミングの設計においてしばしば行うことになる選択が、表形式のデータに対して「行」、「列」のどちらからアクセスするかという問題でモデル化できる、ということ。

最初の2つの例(図3-1と3-2)は表形式のデータそのままでわかりやすい。ただ、それがどうした、と思ってしまいがち。一方で「グラフィックス(3.11.1)」と「誰が責任者か(3.11.2)」は、これが最初の2つの例と設計上の選択において、同じ構造を持っているということは直観的にはわかりにくい。文章で指摘されてもわからないかも。それどころか、図3-3のような表に描かれても何が言いたいのか、わからない可能性もある。

繰り返すが、この節の主張は「設計上の選択が、スプレッドシート(表)に行、列のどちらからアクセスするか、という問題と同型である」ということ。そして、正解は状況によって変わるんだということ。普遍的な解答はない、と。

プログラマにできることは、「これは典型的な"スプレッドシート問題"である。今回のシステムに対する○×△という要求を考慮して、ここでは"行"によるアクセスを選択する」という設計における選択の理由(意図)を記録しておくことだけ。そうすれば後からその記録を読んだ別のプログラマが、その意図をより明確に理解することができる。ただし「スプレッドシートの難問」モデルを知っていれば。モデルって言葉がアレなら「パターン」でも良い。

2008-05-19

文化としての数学 ([著]遠山啓, [版]光文社文庫)

III 数学はどう発展したか

数学の歴史的発展 (p.148〜p.176)

数学史の時代区分

数学の発生以来の歴史を概観するために、数学史を四つの時代に分け、分け目の標識として三つの著作をあげている:

(1) 古代: 経験的、帰納的。
← (A) ユークリッドの『原論』
(2) 中世: 演繹的であり静的(『原論』の特徴)。アルキメデスはこの枠に収まらない特異な存在。
← (B) デカルトの『幾何学』
(3) 近代: 動的であり帰納的。自然科学と密着していた。
← (C) ヒルベルトの『幾何学基礎論』
(4) 現代: 構成的であり静的。

未来への展望

では、この先もヒルベルト以降の「構成的で静的な数学的構造」が数学の主役であり続けるのだろうか。著者は言う:

・・・近代数学の主役は運動と変化であった・・・いわば時間的であった。・・・これに対して現代数学では運動や変化は背景に退いて、・・・構造が正面に出てきた。それは空間的であるといえよう。・・・実在は空間的ばかりではなく時間的でもあるとすると、それに対応する数学もやはり時間的・空間的でなければならないだろう。そのような数学はいまのところ生まれてはいないが、未来の数学はおのようなものとなるかも知れない。
(p.174)

さらにウィーナーの神経生理学の将来についてのべた文を引用した後で、こう結ぶ:

それ(未来の数学のこと)は開放的で動的であり、しかも構造をもつ生体をモデルとするものであろう。そのとき今日のように「ドライ」な数学ではなく、「ウェット」な数学が生まれてくるかもしれない。

この「数学の歴史的発展」は1967年に発表されたもの。すでに40年以上前の展望だ。最先端の数学がどうなっているかは知らないが、「生体をモデルとする」ような発展はしてこなかったように思う。その代わり、コンピュータという別の動的側面を持つ存在に影響を受けて変わったのではないか?

ヒルベルト以降の数学の歴史はコンピュータの登場をもって区切れる、と考えるのは、数学よりもコンピュータに深く関わっているからだろうか?

2008-05-14

会議力 ([著]奥出直人, [版]平凡社新書) #2

著者は会議を以下の3つに大別する。(1) 記録を残すための会議、(2) 通達のための会議、(3) 何かを作り出したり、決めたりする会議。そして、この(3)を「付加価値型の会議(ミーティング)」と呼び、これがプロジェクトを成功させるための秘訣だと言う。(p.204あたり)

以下は、その会議に関する描写:

ミーティングをすると、そのアウトプットを毎回出す。そのアウトプットを使って、また新たにミーティングをし、さらにアウトプットを出すという一連の流れを作る。

これって、うまく行っているときのソフトウェア開発プロジェクトに通じるところがあると思う。

2008-05-10

Essentials of Programming Languages -- 3rd Edition ([著]Daniel P. Friedman/Mitchell Wand, [版]The MIT Press)

今日、Amazonから届いた。Wikipedia(英語)にページができるぐらい有名な本(教科書)。EoPL が略称。

Forewordを書いている Hal Abelson って、どこかで聞いたことのある名前だと思って調べたら、SICP の著者の一人だった。Wikipedia(英語)によれば、AbelsonとSussman(SICPの共著者)は Free Software 界隈でも著名らしく、FSFの "Board of Directors" に参加していたとか。MIT Scheme(今は MIT/GNU Scheme)は FSF ができる前から free software だったとのこと。

で、肝心の本の内容なのだけど、Forewordを読んだ感じでは・・・

「プログラマよ、インタープリタを学べ。さすればプログラミングの真髄を得られよう。すべてのプログラムはやがてインタープリタへと至るのだから・・・」

っていう感じ。出てくるプログラムは Scheme で書かれている(R5RS)。順序としては SICPHtDP (How to Design Programs) を読んでから手を出すべきだろうなあ。じゃあ、SICP を引っ張りだしてくるか。代わりにこれを本棚にしまってこよう。

2008-04-24

会議力 ([著]奥出直人, [版]平凡社新書)

半分以上読んで放り出してあった。通勤の電車でざっと読み通した。

会議のやり方についても書いてあるけれど、それ以外の部分がおもしろい。第4章「電子メールがもたらす大きな変化」の前半でたとる"オフィスの歴史"あたりはとくにイイ。

p.89
口頭でのコミュニケーションが中心だったマネージメントの仕事の中から形式化できる部分がくくり出され、その形式的な作業を専門的にこなす中間管理職が登場してくる。さらにそれらの仕事の中で、文字を使って処理できる分野が、事務職の仕事としてくくり出された。

中間管理職とマネージメント(経営層)って、全然違う職責のものだったのだね。単に規模の違いかと思っていた。

さらに、こんなのもオモシロイ。エグゼクティブ(上記のマネージメントと同じ意味だ)に必要な能力のリスト(p.92あたり;『経営者の役割』という本からの引用だそうな)。

  1. コミュニケーションをスムーズにする。
  2. コミットメントを引き出す
  3. つねに組織全体を意識した目的を設定させる。

ふむふむ。わかりやすい。これならわたしでも「ボンクラな経営者」とそうでない人との区別ができる。

二度、三度、じっくりと読む気になる本だ。

関連エントリ

2008-04-15

プレファクタリング -- リファクタリング軽減のための新設計 ([著]Ken Pugh, [訳]木下哲也/有限会社 福龍興業, [版]オライリー・ジャパン)

作業机の隅に積み上げられた本の中にあったもの。気が向いたので、ちょっと読んでみる気になった。

1章「プレファクタリングの概要」と2章「非常に多くの言葉で表されるシステム」を読み終わったところ。

プレファクタリングとは何か? 1章を読んでわかる範囲で書くと「ソフトウェア開発における様々な経験をもとにした知識を指針として、リファクタリングが少なくなるように、あるいはしやすくなるようにプログラムを設計・実装すること」となるか。ちょっと長いか。一言で書くなら・・・「きちんと作りましょう」ってことだな。

その経験をもとにした知識の中でも、中心になるのが「3つの極度」として挙げられているもの。すなわち:

  1. 極度の抽象化 (Extreme Abstraction)
  2. 極度の分離 (Extreme Separation)
  3. 極度の読みやすさ (Extreme Readability)

2章ではサンプルシステムのユースケース定義というか分析が書かれているのだけど、はやくも「極度の抽象化」の一端が現れる。要は、ADT (Abstract Data Type)を使いましょう、ということで、「極度の」というのは基本データタイプ(C++やJavaの int とか)を一切使わずに考えろ、ということ。さらに String も基本データ型と見なすぞ、となる。これがリファクタリングを少なくするかどうかは微妙だけど、ADT の使用を徹底しておけばリファクタリングしやすくなることは確かだ。

分離と読みやすさはまだ出てきていない。分離は「関心事の分離」だからわかるけれど、それの「極度(Extreme)」なものって何だろう? 読みやすさの「極度」になると、ちょっと見当が付かない。

要するに ([著]山形浩生, [版]河出文庫) #2

通勤時間だけでさっくり読了(@4/14)。

第3部「世の中講座」の「会社ってなーんだ」のシリーズは続きが読みたい。正確には就職して社会人になる前に(書かれていない続きとあわせて)読みたかった、かな。

最後の「ネットワークのオプション価値」がちょっと気になっている。そのうちじっくり読み返してみたい。

2008-04-13

要するに ([著]山形浩生, [版]河出文庫)

例によってRSSリーダーで講読しているブログで知った本。この著者については、オープンソース関係の翻訳者として知っていたが、こういうものを書いていたとは知らなかった。

Googleを支える技術」を通勤の友としてきたけれど、満員電車の中で単行本サイズの本を出したり広げたりが、ちょっと苦しくなったので文庫に取り替えた。それがこの本。二日でちょうど半分ぐらいまで読み進んだところ。

第1部の「ケーザイ講義」は1999年1月〜2001年9月にかけて、第2部の「山形道場 I」が1995年10月〜1998年10月に発表されたもの。さすがに10年以上前の「道場」あたりの内容は古さを感じる。ネタがネットに関するものだからよけいにそう感じるのか。

内容はともかく、この文体は好き嫌いが出るかも。読みやすいからネットで読むならこれも良い。紙媒体に載るとどうかな。

p.134からの「情報投資と生産性」で紹介されている「そのコンピュータシステムが使えない理由(原題: The Trouble with Computers -- Usefulness, Usability, and Productivity)」は、翻訳が出版された頃に買って、少し読んだ記憶がある。先月ぐらいに本の山を掘っていたときに見つけて、懐しく思っていた。翻訳がこの著者のものだったとは気付かなかった。

2008-04-08

コードコンプリート 第2版 (上) (下) ([著]スティーブ・マコネル, [訳](株)クイープ, [版]日経BP)

第1部 基礎を固める/第1章ソフトウェアコンストラクションへようこそ、を読んだ。馴染みの薄い「コンストラクション」という言葉が使われているのだけど、「コンストラクション」とは「プログラミング」と同じ意味で使う、と書いてある。定義しなければならないような言葉を使うのは何故だろう。何か目的があるのか?

ともあれ、p8より引用:

・・・古典的な研究は、コンストラクションにおける個々のプログラマの生産性には10倍から20倍もの開きがあることを示している・・・本書では、最も優れたプログラマが既に取り入れているテクニックを、すべてのプログラマが習得できるように手助けする。

この本に書かれている内容をマスターすれば最も優れたプログラマの一人になれるということ。目次を見る限りでは網羅的だし、上巻下巻合わせたページ数と重量のことを考えれば各項目の記述も豊富なのだろう。きっと良いプログラマになれるだろう。とはいえ、この分量ではこれからプログラミングを学ぼうという人は気後れするかも。(最も)優れたプログラマへの道は遠い。

目次を眺めると、下巻の方がおもしろそうだ。

良い悪いは別にして、プログラミングの本と言えば「ソフトウェア作法」と「プログラム書法」(あとは K&R ぐらい)しかなかった頃が懐しい。

2008-03-30

Googleを支える技術 -- 巨大システムの内側の世界 ([著]西田圭介, [版]技術評論社) #2

「第1章 Googleの誕生」を読んだ。

まず、Googleの出発点として「良い検索結果」=「役に立つ検索結果」だと捉え直したことがある。これを実現するための概念がWebページのランク付けであり、ランク付けのために(有名な)PageRankを始めとするアルゴリズムが考え出され、そして実装された。ページのランク付けは、Googleの誕生当時(1990年代後半)はもちろん、今なおホットで難しい問題であり、現在でもGoogleの技術的探求の中心でもある

1.4がインデックス化、1.5が事前に作成されたインデックスを使った検索そのものの仕組みの解説。1.3で解説されるクローリング(Webページを集めること)とともに、1.4は事前作業だから比較的時間をかけても良い。一方で、1.5の検索はユーザが検索語を入力してから、その結果が表示されるまでの短い時間(たいていは数秒)で行われなければならないことだ。それにもかかわらず、ここにはページのランク付けという困難がふくまれている。ここでの困難はランク付けの適切なアルゴリズムを考えることが難しいということではなく、膨大なWebページの情報(インデックス化で事前に作成されている)に対してランク付けアルゴリズムを適用し、その結果で並べ替えて、ユーザに検索結果として送り返す。それをごく短い時間でやらなければならない、という「スケール」に対する困難さだ。

実際、初期のGoogleではページのランク付けに関しては、一部のページのみが対象であったと書かれている(p.36)。

2008-03-30(23:39)時点で、本書の書名「"Googleを支える技術"」(書名をダブルクォーテーションで囲ってある)で検索したところ「約16,100件」という検索結果をGoogleは返してきた。時間は0.26秒だそうだ。「Googleを支える技術」としてダブルクォーテーションを取ると、「約236,000件」になり、これには0.40秒かかったとある。数十万という単位のデータに対して複雑な計算を実行し、結果をソートする。そこからさらにテキストの取り出し、結合、HTML化とやること時間のかかることはまだまだ多い。それをこの短い時間でやってのけるための仕組みがちょっと思い浮かばない。少なくとも第1章で解説されている方法を何の工夫もないまま素直に実装したら、このパフォーマンスは得られない。まあ、テキスト処理は実際に「検索結果ページ」を作るのに必要な件数(デフォルトは10件だっけ?)だけなんだが。それにしてもランク付けの計算は全部でやってるだろうしね。

その当たりの工夫が「第2章 Googleの大規模化」以降で解明されるらしい。

スーパーコンピュータを20万円で創る ([著]伊藤智義, [版]集英社新書)

これもRSS講読しているブログで紹介されていた一冊。どこのブログだったかはもうわからなくなってしまった。

Wikipediaによればスーパーコンピュータとは「内部の演算処理速度がその時代の一般的なコンピュータより非常に高速な計算機(コンピュータ)のこと。」となっている。とくに汎用、専用の別はなく、とにかくその時代で一番速いコンピュータたちのことだ。本書で描かれているのは専用の高速計算機の方。天文学における重力シュミレーションに特化した計算機を創る物語。

読みやすいし、当時の熱気みたいなものも伝わってくる。良く書かれたノンフィクションだ。ただ、残念なのは肝心のGRAPEを開発する過程の記述があっさりとしていること。「モノづくり」のおもしろさはディテールにこそ宿るのだと思う。いくつかの写真と回路図だけでは十分に伝わらない。

本書の中盤にあたる第3章から第5章が、タイトルにもある20万円のスーパーコンピュータ、GRAPE-1の開発に関する記述。プロジェクトに関わった人たちの関係や思いが丁寧に描かれているだけに、影の主役であるGRAPEの記述が少ない気がする。費用や期間では単純に評価できない苦労の部分をもっと知りたくなった。

本文にはできなくても、付録という形ならディテールを書けたんじゃないだろうか。開発ノートがあったそうだから、それを再構成するなりして。新書だからムリがあるか。

ウェブ時代の5つの定理 ([著]梅田望夫, [版]文藝春秋) #2

p.126
強い「プロダクト志向のカルチャー」が必要だ。 -- スティーブ・ジョブズ
You need a very product-oriented culture. -- Steve Jobs

この言葉を製品へのこだわりと読むのは簡単だけど、もう一歩踏み込んで考えたい。プロダクトとは最終的なユーザの手に触れるもの。そしてユーザに価値を持たらすもの。すなわち「プロダクト志向」とはエンドユーザにとっての価値を実現することを第一に考えることではないだろうか。

大きな組織に属していると自分の労働や成果がどんな価値を持っているのかが見えにくくなる。(たとえ製品開発であったとしても)プロジェクトメンバーだけで数百人、利害関係者をふくめるとさらにその数が増える、そんな状況ではメンバー一人、一人の貢献は部分に埋没してしまい、製品のユーザにとっての価値に結びつかない。それで「良い」製品などできるはずがない。

技術者、とくにモノづくりにこだわりたいと願う者にとって、何を(誰にとってのどんな価値を)作っているのかがわからなくなることは、仕事に対するモチベーションを大きく下げる要因になる。

常にユーザにとっての価値を思い、その実現に力を注ぐこと。それを可能にする組織であったり、開発手法であったり、技術者自身であったり。それがジョブズの言う「強いプロダクト志向のカルチャー」なのだろう。

Googleを支える技術 -- 巨大システムの内側の世界 ([著]西田圭介, [版]技術評論社) #1

RSS講読している、とあるブログで発売を知った。発売日(2008-03-28)に購入。まつもとゆきひろの序文と著者による「はじめに」を読み、目次を眺めたところ。目次の項目を追いかけているだけでワクテカしてくる。

Google人たちが書いた論文が公開されている(Papers Written by Googlers)のは知っていたし、そのうちのいくつかは読んでみたいと思っていた(英語に負けなければ・・・)。この本のおかげで、そのための敷居がグッと低くなった。ひょっとしたら、原論文まで読まなくてもイイかもしれないし。

まつもとが序文で言うように、ここ十数年のコンピュータを中心とした世界で起きた変化のほとんどは量(スケール)に関するものばかりだ。一方で、 Googleの出現は世界を、少なくともネットの向こう側とそこにつながる人の生活様式を変えてしまった。これは質的な変化だ。それが「量から質への転化」なのだとしたら、Googleを支える技術(序文で言うスケーラブルコンピューティングってやつ)こそがその変化を持たらしたことになる。

Google は2004年の株式公開以降、ビジネスの世界での成功が華やかすぎて、その技術的な面の露出度は相対的に高くない(隠しているわけじゃないんだろうけど)。技術に心を引かれた人たちも、どちらかと言えば次々と打ち出される製品やサービス(APIとかも)に眩まされて、それを実現している仕組みのことには目が向かない。けれど、「世界最大のコンピュータ」(「はじめに」より)としてのGoogleには最先端の技術が詰まっているのだ。本書はそのことに改 めて気付かせてくれる(目次を読んだだけで!!)。

もう、この本は売れる気がしてきた。なんか技術書なんだけどベストセラーリストに並ぶような気がしてきた。むしろ、並ばないとしたら日本(のコンピュータに関わる部分)に未来はないっていうぐらいの感じがしている。

2008-03-24

レバレッジ・リーディング ([著]本田直之, [版]東洋経済新報社)

今朝(2008-03-24)より、新しい通勤の友。ほぼ読み終わった。明日からはまた別の本を友として連れ出すことになる。

第1章は著者の主張が繰り返し語られる。とにかくたくさん読め、と。第2章は本の探し方、選び方。そして、第3章からが本を読むことに対して「ハウツー」っぽい内容になる。第4章は読んだ後どうするか。

第2章でちょっと驚いたこと。世間には有料の書評サービスというものがあるらしい。

とくにアメリカで盛んです。忙しくて本を読めない人に代わってサービス業者のスタッフが主な新刊を読破し、読むべき本を選んで紹介するというサービスで す。・・(中略)・・内容のサマリー(要約)も充実していて、・・(中略)・・これを読めば、実際に本を読んだのと同じくらいの効果が得らえるのがすごい ところです。

なんというかアメリカっぽいね。

肝心の第3章で展開される読み方は、「本を読む本([著]M.J.アドラー/C.V.ドーレン, [訳]外山滋比古/槇 未知子, [版]講談社学術文庫)」にある「点検読書」に近いようだ。

第4章はまだ途中なので、読み切ったときに振り返ってみよう。

2008-03-23

働く気持ちに火をつける ([著]齋藤孝, [版]文春文庫) #2

先週ぐらいかな、通勤の電車の中で読了。

著者が、仕事の柱だと言う「ミッション、パッション、ハイテンション」(p.224)のうち、後の2つはちょっと受け入れにくいけれど、最初の「ミッション」に関しては近頃、似たようなことを考えていただけに心に響くものがある。

梅田望夫が言う「好きを貫く」姿勢にしても、本書で言われる「ミッション感覚」にしても、決して不可能なことを掲げているわけじゃない。改めて言われてみれば当たり前と感じられること。けれど、手が届きそうで届かないことでもある。あとちょっとなのかもしれないけど、まだ足りないものがある。それは何だろう。決意と覚悟、さらには継続の意志。
・・・あらら、「あとちょっと」じゃないっぽい。

心に引っかかったところを引用しておく:

社会の中での自由とは、束縛がないことではない。社会の中で、他者に働きかけていける技を一つでも二つでも持っていること、これが真の自由だ。・・(中略)・・だから、社会との接点が薄い存在でいることは、はっきりいって恐ろしく不自由だと思う。
自分の手で仕事を喜びにし、人生をデザインしていく楽しさを知らないのは、あまりにも惜しい。
(p.20)

この一文がどうにも心に痛い。痛いってことは、そこが弱いところだってこと。いや、まあ、わかっているんだョ。

帯には「スカッと働くコツを伝授!」と書かれているけど、ここに「こつ」やら「技」は書かれていない。少なくとも具体的ですぐにそのまま実行できるようなものはない。著者は教育者(教師)なのだと思う。教育を行う者にとって大事なことは生徒が自分自身で考えるように仕向けることだ。答えを教えることじゃない。だから、この本に答えを期待してはダメ。これは、答えを探そう、という気持ちにしてくれる本。タイトルにある通り、「火をつける」本なのだね。

2008-03-14

働く気持ちに火をつける ([著]齋藤孝, [版]文春文庫) #1

梅田望夫のブログで存在を知り、ここしばらくの仕事に対するモヤモヤした感じをどうにかできるか、と買ってみた。早速、通勤の友として連れ出した(3/12)。

何というか、熱い本だ。この著者の本を買うのも読むのも初めてなのだけど、こんなに熱い人だったんだね。数年前から書店で平積みにされていることが多く、著者の名前だけは覚えていたんだけど。

熱いというか、むしろ煽動的というべきか。書かれている内容すべてを肯定的に受け取ることはできないのだけど、それでも「熱」が伝わってくる。ふと気付く と、自分の中に「使命(ミッション)」を探していたりする。そういう意味では確かに「火をつける」本ではある。タイトルに偽りなし、と言える。

仕事に熱くなれ、というのはたやすい。けれど、みながみな熱くなれる仕事に就いているわけじゃない。そういう反論が出てくる。これが間違っている。熱くなれ ないようなものを仕事にするな、ということなのだ。その状態(仕事に熱くなれない)は自分自身にとっても、周囲にとっても(たとえば雇用者)不幸なことだ から。仕事とは嫌でも好きでも人生のほとんどの部分をつぎ込むことになるもの。それを「好き」になれないとしたら、人生がみじめなものになる。

ほら、やっぱり熱くなってる。

本を読む本 ([著]M.J.アドラー/C.V.ドーレン, [訳]外山滋比古/槇 未知子, [版]講談社学術文庫) #1

前日(3/12)に通勤の友として読み出した「働く気持ちに火をつける」([著]齋藤孝)が、煽動的な内容だったので、今日(3/13)はもう少し落ち付いたものを連れて出ようと、この本をポケットに入れて家を出た。

これでも本好きで、「趣味は?」と聞かれたら本読みですと答えるぐらいなんだけど、何というかこれまで漫然と読んできたのか、とショボンとしてしまう。それ ぐらい「読書」というものを技術として突き詰めている。そんな内容だというのが目次と第一部の途中まで読んだ時点での印象。

読書の技術としての最終形態、「シントピカル読書」にまで到達できるだろうか? そもそも、それってどんなもの? 最後まで読めばわかるかな。

2008-03-11

クリティカルチェーン -- なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか? ([著]エリヤフ・ゴールドラット, [訳]三木本亮, [版]ダイヤモンド社) #2

昨夜(2008-03-10)、さっくりと読了。睡眠時間も1時間ばかり削ってしまったけど。

大半は TOC の復習で、それを PM (プロジェクトマネジメント) にどう適用するか、という内容。PM の場合のスループットはプロジェクトを計画どおりに完了させられるかどうか。遅れればスループットが低い。

個々の作業見積りにはマージンとかバッファとか呼ばれるものはふくめず50%の成功確率となる期間を見積る。その代わりプロジェクト全体で、クリティカルパスの後にバッファを用意しておく、などなど。PM版TOCとして実践的な内容になっている。

そのあたりまでは良くわかったんだけど、クリティカルチェーンのことになると、わからなくなった。6章(最後の章だ)あたり。じっくり読めばわかるかもしれない。
しれないけれど、読む気になるかね。

2008-03-10

クリティカルチェーン -- なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか? ([著]エリヤフ・ゴールドラット, [訳]三木本亮, [版]ダイヤモンド社) #1

今朝(2008-03-10)から通勤の友。仕事がらみ。クリティカルチェーンって何? 、という疑問の答えを求めて積ん読の山から掘り出してきた。

数年前に、ダイヤモンド社から出ているゴールドラットの一連の著作(「ザ・ゴール」に始まるやつね)を買ってあった。うち始めの2冊は、買った当時に読んだんだが、残りの2冊を放り出してあった。その4冊目に手を出したわけだ。3冊目は・・・気が向いたら読むでしょ。

プロジェクトはどうして遅れるのか? その疑問に答えてくれるんだろうか。
ほんと、どうして遅れるんだろうねえ・・・。

2008-03-08

科学的に説明する技術 -- その仮説は本当に正しいか ([著]福澤一吉, [版]サイエンス・アイ新書) #2

さきほど読了。読後の印象がもやもやしていたので、整理するために軽く見返してみた。 第1章と第2章はそれ以後の内容のための準備。第3章が本論。第4章がその補強。最後の第5章は本論に対する別の見方の紹介。といったところか。章名を上げておくと以下のとおり:
  1. 科学マインドを理解する
  2. 日常議論から科学的な議論へ
  3. 科学的説明の論理
  4. 説明理論構築の実際とその検証
  5. 科学者の誠意とは何か?
章を追うごとに科学哲学(メタ科学)の様相を深める。とくに5章はそのまま科学哲学の話になっている。 肝心の3章の中身について俯瞰してみる。「知りたい」という素朴な気持ちの発露から説き起こして、「実態調査型研究」と「仮説検証型研究」の別を述べ、さら には科学では後者が重視されること、その方法論として「仮説演繹法」があることを述べる。この「仮説演繹法」が本書のテーマである「科学的に説明する技 術」そのものだ。 「仮説演繹法」については、p.139の図がわかりやすいか。こんな感じ(↓):
観察などによるデータ収集 → 仮説の形成(帰納的推論) → 予測を導く(演繹的推論) → 予測の実験的確認 → (A)
(A)で予測が誤りであれば「反証」されたことになり「仮説の再構成」に、正しければ「確証」されたことになり「仮説が真に近づく」と。 5章で「さわりの部分」だけが紹介されている科学の方法(仮説演繹法)に対する批判に関して、もっと知りたくなったかな。

2008-03-04

ウェブ時代 5つの定理 ([著]梅田望夫, [版]文藝春秋)

2/28か29ぐらいの発売。発売と同時に購入。文庫でも新書でもないけどソフトカバーでコートのポケットに収まったので、今朝(3/4)から通勤の友になった。

第1定理のアントレプレナーシップを読み終わり、第2定理チーム力に入ったところ。

内容には目新しさを感じないけれど、構成として英語の「名言」が節の冒頭に掲げられているのがおもしろい。英文そのものもわかりやすい文で、そのまま読んでも理解できる。加えてその翻訳が良い。こういうのを読むと、普段ろくな翻訳を読んでないんだなあ(技術書)と実感する。

2008-03-01

ミーム・マシーンとしての私 (上) ([著]スーザン・ブラックモア, [訳]垂水雄二, [版]草思社) #3

3. 文化の進化

生物学的な進化を離れ、人の文化が進化するという観点に立ち、さまざまな先人たちの研究の結果を持ち出しては、これはミーム理論と似ているけど違う、充分で はない、と切り捨てていく。文化の進化を唱えるほぼすべての研究者たちが、その源泉を生物的な遺伝子に求めているが、それは適切ではない、と。

「人間の行 動を十二分に理解するためには、遺伝子淘汰とミーム淘汰の両方を考慮しなければならない」(p.93)。

まとめとして、ミーム現象を説明するために既成の科学は役に立たない、それはゼロから構築しなければならない、と。

まだ、風呂敷を広げている最中かな。どう折りたたんでいくつもりかしら。

ミーム・マシーンとしての私 (上) ([著]スーザン・ブラックモア, [訳]垂水雄二, [版]草思社) #2

1. 奇妙な生物

人 間は地球上の他のいかなる生物とも似ていない点を持つ。それは「模倣」することである。他の生(動物)は模倣をしない(できない)、またはごくまれにし か行わない。「模倣」によって伝わる何か、それが「ミーム」。遺伝子と同じく「利己的」な自己複製子である。ただし、ミーム理論はまだ認められた学説とは なっていない。

2. ミームとダーウィン主義

自己複製子が変異、淘汰および保持という三つの大きな要件の下に置かれたとき、進化 は不可避である。進化の過程はアルゴリズムであり、基質に対して中立的(基質が何であれそれは機能する)。ただし、進化というアルゴリズムの結果を予測す ることはできない。実際に動かしてみなければ何が得られるかはわからない。自己複製子としてのミームは、上記の三大要件を満たす。単独ではうまく模倣され ないミームも、いくつか複合すると模倣の機会が増大することがある。このため、ミーム複合体が生まれる。デネットによれば人間の心や自己(意識)はミーム の相互作用によってつくりだされる(以下、引用の引用):

あらゆるミームが頼りにできる到達すべき安息の地は人間の心である。しかし、人間の心そのものは、ミームたちが自分により都合の良い生息環境にするために脳を再構築するときにつくりだされる人工物なのである

ざっとまとめるとこんなところ。ここまでを2/25あたりに読んだわけだ。軽く斜め読みしつつ、復習をしてみた。

2008-02-27

科学的に説明する技術 -- その仮説は本当に正しいか ([著]福澤一吉, [版]サイエンス・アイ新書) #1

読み出したのは結構前のこと。読みかけで放り出してあった。今週になって通勤の友にしてみた。ほぼ読了。明日からは別の本を連れて行くつもり。 技術とは言うものの、ハウツー本ではない。「科学的に説明する」とはどういうことなのかを「解説」したもの(「説明」と「解説」の違いはp.116〜119あたり)。言わば「科学の定義」。 「科学の方法」([著]中谷宇吉郎, [版]岩波新書)に通じるところがある。 好みとしては「科学の方法」が断然上だけど、本書では「科学を定義する言葉」を知ることができる。たとえば以下のようなもの: 理論(仮定の集まり)を構築するときの条件
  1. 論理性
  2. 包括性
  3. 単純性
「科学の方法」を読み返せば同様の内容があるだろうけど、こういう言葉を使ってはいないだろう。論理や単純はともかくとして「包括」という言葉はなかなか出てこないよね。 軽く読み飛ばせるところを評価すべきか、題材にくらべて歯ごたえのなさを批判すべきか。ここから進んで科学哲学に関する本に行けば良いのだろう。

2008-02-25

ミーム・マシーンとしての私 (上) ([著]スーザン・ブラックモア, [訳]垂水雄二, [版]草思社) #1

買ったきっかけはこのあたりに書いたこと。例によってずっと積ん読の山に埋もれていたのだけど、気が向いたので読み始めた。まだ、ドーキンスの(長めの)序文と1章、2章を読んだだけ。 ミームという概念には(これもまたミームの1つ)興味を引かれているから、読み切りたいところだけど、果たしてどうなるか。

2008-02-22

Human Interface Guidelines: The Apple Desktop Interface (日本語版)

いつ、どこで買ったかが、もはや記憶にないのだけれど、しばらく前から部屋の片隅に置いてあった。

Apple のユーザインタフェースのガイドは、これまで大きく3回改訂されているらしく(→ ネタ元)、これはその最初の版にあたる。第2版というべきもの(タイトルに Macintosh が入った)は手元にはない。最新版(OSX以降)は Xcode に付いてくるドキュメントの一部として読むことができる。

3つの中でも、書籍として出版されていたこの第1版は評価が高いようで、書籍版の復刊を望む声は今もあるらしい。手元にあるのも2004年に出版社を変えて復刊したもの(だと思われる)。

「Apple Desktop Interfaceは、人間が生まれながらに好奇心を持った存在であるということを前提としています。好奇心は学習への欲求と言い替えることができますが、学習効果は自分の置かれている環境に自発的な探究心を持って接した場合に最も高くなると言えます。人間は自分を取りまく環境をコントロールしたいという欲求を持っています。これには、自分の行為に対して掌握感を持とうとすること、そして、その結果を確認し、理解しようとする欲求が含まれます。また、意志の疎通には、言語をはじめ視覚や身振りによる伝達手段が用いられているように、人間は記号や抽象表現に慣れ親しんでいます。そして、条件が揃えば創造的で芸術的な存在ともなり得ます。作業や生活の場がエンジョイで、やりがいに満ちたものであれば、生産性や効率は非常に高くなります。」

以上は、第1章の「設計思想」のある段落だ。今、読んでも感動すら覚える。むしろ、今読むからこそ、だろうか。段落の前半にある人間性への洞察を読むとき、 これが技術文書なのだということ、「プログラミングガイド」に類する文書の一節なのだということを忘れてしまう。そして最後の2つの文。人は条件が揃えば クリエイターにもアーティストにもなれる。そのための「条件」となるようなコンピュータを作って行こう。人は楽しむことで生産性も効率も高くなる。「楽しめる」プログラムを作って行こう。そんな Apple の意気ごみが感じられる。

今、世界のあちこちにあるコンピュータ(Macをふくめて)がそうなっているとは思えないことが残念だ。どこで歪んでしまったのかな (´・ω・`)