2008-06-24

史上最大の発明アルゴリズム -- 現代社会を造りあげた根本原理 ([著]デイビッド・バーリンスキ, [訳]林大, [版]早川書房) #2

第2章の話題はペアノの公理。

第3章は形式的な命題計算について。読んでいてGEBを思い出した。

この本、アルゴリズムが話題なのか? いや、アルゴリズムという言葉の意味が、わたしの思うものと少しずれているようだ。プログラムの「ロジック(ステップとして表された手続き)」を意味するそれではなく、計算とは何かという問いへの答えとしての概念なのだ。だから、(目次によれば)後半でゲーデルやチューリングの名前が出てくるのだろう。

GEBを思い出すのも当然か。

2008-06-15

史上最大の発明アルゴリズム -- 現代社会を造りあげた根本原理 ([著]デイビッド・バーリンスキ, [訳]林大, [版]早川書房)

読みにくくはないんだけど、なんとも不思議な印象を受ける文体だ。「訳者あとがき」に「奇書と言ってもいいくらいである」というのも、読み出してみると納得できる。

「まえがき」「プロローグ 宝石商のビロード」「第1章 スキームの市場」まで読んだところ。第1章ではライプニッツが話題の中心。ライプニッツといえば、ニュートンと並んで微積分の創始者として有名。さらに「訳者あとがき」によれば、

十七世紀にゴットフリート・ライプニッツは、計算機を組み立て、この世界に関するあらゆる真理が体系化される普遍的な書記法で書かれた記号言語を思い描き、あらゆる概念のリストを構想し、記号の機械的操作だけであらゆる問題に結着をつけてしまうアルゴリズムを想像することを夢想した。

とある。ただこれらは完成されることはなく、構想や夢想で終わってしまったようだけど。著者はその構想がアルゴリズムの始まりだったと言う。ちなみに↑の「訳者あとがき」からの引用と同じ内容を、この著者が表現するとこんな感じになる(p.31):

しかし、普通の人が普通の百科事典に関心を抱くところを、ライプニッツは、その他のもの、それ以上のものに関心を抱いた。人間の概念の百科事典、人間の思考一式 -- 人間性、復讐、敬虔、美、幸せ、善、快楽、真理、貪欲、衛生、手続き、合理性、礼儀正しさ、機敏さ、運動、気難しさ、従順さ、マナー、正義、能力、戦争、芸術、計算、義務、仕事、言語、たわごと、情報、女性、公平 -- 人間が抱く概念すべて、したがって人間の考えることすべてを包括的に含む百科事典だ。

奇妙な「読み味」だよね。

2008-06-09

本を読む本 ([著]M.J.アドラー/C.V.ドーレン, [訳]外山滋比古/槇 未知子, [版]講談社学術文庫) #2

最近(Leopard をインストールしてからだから、2008/01あたりから)、本の目次を書き写すということをよくやるようになった。VoodooPad というハイパーテキストエディタを使って、本のタイトルを名前とするファイルを作ってそこに目次を書き写す。で、中身を読み進むに応じて、読んだ印象やら引用やら何やら、あれこれをそこにメモしていく。ハイパーテキストはこういう使い方に適している。

で、この「目次を書き写す」という行為には目的があった。目的というよりも、いらだちにも似た思いがあった。それは、読まずにたまっていく本が多い(ほとんど?)中、どの本にどんな内容が書いてあるのかだけでも把握したい、というもの(読めばいいだろ、というツッコミは勘弁)。買って間も無くなら何が書いてあるのか、いや少なくとも何を読みたくて買ったかは覚えている。時間がたつと記憶も思いも薄れる。それどころか、どんな本を買ったのかということすら忘れていることがある(これは年をとったせいか?)。

技術的な本なら、目次にはキーワードやら内容の概略やらが表れている。それをデジタルファイルの形に変換しておけば「検索」できる。具体的に言えば、Spotlight が届くようになる。

こんな動機で「目次写し」を続けているのだけど、「本を読む本 ([著]M.J.アドラー/C.V.ドーレン, [訳]外山滋比古/槇 未知子, [版]講談社学術文庫)」 に、まさにこれに相当する手法が書かれていた(p.39 - 51)。すなわち、「点検読書」の最初のステップである「組織的な拾い読み、または下読み」(の一部)に相当する。このステップは以下のように細分化されている:

  1. 表題や序文を見ること。
  2. 本の構造を知るために目次を調べる。
  3. 索引を調べる。
  4. カバーに書いてあるうたい文句を読む。
  5. その本の議論のかなめと思われるいくつかの章をよく見ること。
  6. ところどころ拾い読みしてみる。

ここまでで点検読書の前半(最初のステップ)が終わる。ここまでに数分間から長ければ一時間をかける。これにより、その本のことが(読む前よりも)よくわかったはずだし、何より「もっと深く分析して読む必要があるかないかがわかった」はずだ、と著者は言う。さらに、「いつでも参照できるように、頭の中の図書カタログにおの本がきちんと納められているはず」だとも。わたしの場合、この部分については生身の脳が信頼性に欠けるので、Mac (と Spotlight)に任せてある。

さて、点検読書の後半は何か? それは「表面読み」。とにかく読み通すこと。最初はそれだけを心がける。わからないところはひとまず置いて先に進み、通読する。難しいところは再読、三読の機会にとっておく。これの肝は以下の引用にある考え方。

世の中には「拾い読み」にも値しない本が多いし、さっさと読み通す方がよい本もかなりある。ゆっくりとていねいに読んで、完全に理解しなくてはならない本はごく少数しかない。速読の方が向いている本に時間をかけるのは無駄というものだ。

点検読書は何のためにやるのか? それは、より深い読み方をする価値があるかどうかを判定するため、である。

ふむふむ。つまりわたしの読書レベルは、最近ようやく点検読書の前半をやるようになった、というところか。これまでは点検読書のことなど思いもせず、最初のページから読み始めて、ひっかかりがあるとそこから進まず、その結果通読できずに放り出すことが多かったからなあ。そのくせ、小説なんかはストーリー(結末)が気になって、どんどん飛ばし読みになったりする。読み方がちぐはぐだったのか・・・orz

2008-06-04

アラル海 消失の教訓 ([著]P.ミックリン/N.V.アラジン, [収]日経サイエンス 2008年7月号)

食事をしながらTVを眺めていて巨大な湖が消えたとかいうVTRを見た。その湖の名前がアラル海。2つの川から流れる水がたまってできた内陸の(つまり海とはつながっていない)湖だ。この湖が過去40年以上にわたり水量が減りつづけ、どんどん縮小していると言う。どこかで聞いた、っていうか最近どこかで見た(読んだってほどじゃない)ような・・・。おそらくはサイエンス。で、そこら辺を探して記事を見つけた。

この湖が干上がり始めた原因は、ソ連時代に行われた大規模な灌漑事業。要は、綿花や米などの作物を作るために前述の2本の川の水を途中で使ってしまった、ということ。それもとんでもない規模で。いったいどれだけの綿をつくったんだ?

(p.96)
ソビエト連邦はアラル海の瀕死状態を何十年も隠し続けたが、1985年にゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)書記長が環境と人類に関するこの重大な悲劇をようやく明らかにした。

湖、それも世界第4位の大きさだったものが消えていくのを隠し続けたって、そんなことができるのか・・・。いやまあ、よその国の奥で起きていることは見えないかもね。

うん? でも、今なら Google Earth があるゾ。誰でも見られるんじゃないか?

早速、Google Earth で見てみた。

カスピ海の近くだということで探してみると、地球儀状態からでもすぐに見つかった。どんどんアップにしていくとそれらしい湖が見えてきた。おや、そんなに小さくない。っていうかサイエンスの2007年だとなっている写真よりずっと水が多い。むしろ1997年に近いんだけど (・ω・)?

UNEP」というアイコンがあったのでクリックしてみる。「ATLAS OF OUR CHANGING ENVIRONMENT」と題したウィンドウがポップアップする。英文の解説はサイエンスの記事に書いてあるようなこと。で、"Overlay images on the Earth surface" というリンクをクリックしてみる。レイヤが追加されて、1973、1986、1999、2004-09-22、2006ー09ー09の5つのアラル海の(過去の)姿を重ねて表示することができるようになった。全部重ねた上で、過去から順に非表示にしていくと何が起こったかが一目瞭然。かつては琵琶湖100個分だった湖(海)が消えていく過程がわかる。

たしかに Google Earth で、10年前なら見えなかったような場所まで、誰でも手軽に見られるようになった。けど、これってある時点のスナップショット(それもツギハギ)なんだよね。この先、5年、10年と Google Earth が地球の画像データを蓄えていったとしたら、そのうち、過去の地球の姿を見ることができるようになるだろうか? 自分の済んでいる街の過去と現在を重ねて見たりできるようになるかな? 100年、1000年と人類の文明(と Google)が続いたら、その間の地球の変化を動画のように見ることができるだろうか?

話をサイエンスの記事にもどそう。

湖が縮小するにつれ、生態系がぶっこわれた。魚が減り、鳥が減り、哺乳動物も減った。周辺地域では砂漠化が進み、住人の健康も害されていった。綿を作るために犠牲となったわけだ。

(p.102)
アラル海の枯渇は40年以上にわたって続いてきた出来事だ。持続可能で長期的な解決方法には、大規模な投資と技術革新だけでなく、政治的・社会的・経済的な大改革が必要になる。

良く言われることだけれど、環境を壊すのは簡単で戻すのは難しい。だから壊さないようにしましょう、これまで小学校や中学校ではそう教わってきた。壊れたものを戻すように努力しましょう、とは言われなかった。壊れたものをどうするのか、そこは触れられてこなかった。

持続可能な世界を目指す現代では事情が異なる。壊さないようにすることはもちろん、壊れたものも修復しなければならない。そして、あきらめて放り出したりしなければ希望はある。そのあたりも記事から引用しておこう。

(p.103)
アラル海の物語は、現代技術社会が自然界とそこに暮らす人々を破滅に導く途方もない力とともに、環境を修復する大きな潜在力を持っていることも実証している。

(p.103)
自然環境は驚くほどの回復力を持っているので、希望を捨てたり環境保護の努力を怠ったりしないこと。多くの評論家がアラル海はもうだめだと見限ったが、実際にはかなりの部分が生態的に回復しつつある。

2008-06-01

レボリューション・イン・ザ・バレー ([著]アンディ・ハーツフェルド, [訳]柴田文彦, [版]オライリー・ジャパン)

ウォズ(Steve Wozniak)の序文、著者(Andy Hertzfeld)による「日本語版へのまえがき」と「はじめに」、さらに「主な登場人物」を読んだ。

「はじめに」からいくつか引用してみる。

初期のほとんどのApple社員は、自分自身を理想的な顧客と見なしていた。Apple IIは芸術作品であると同時に、Appleの社員と顧客が分かち合う夢の実現でもあった。

ここ、大事。試験に出るっていうぐらい大事。

Macintoshの設計チームはWozオリジナルの設計に感化され、その革新的な精神を呼び戻そうとしていた。僕らは再び自分自身の理想的な顧客となり、何よりも自分たちが欲しいと思うものを設計した。

先と同じ内容だけど、先の引用はApple IIという製品について、こっちはMacintoshについて。技術者として、とくにソフトウェアの開発者として企業に雇われていると、「顧客==開発者」であるという構図が成立した場合に良い製品、それも素晴しい製品が生まれやすいことに気付く。例外もあるだろうから法則と呼ぶことはできないけれど、逆にこれが成立しない場合は、使う側にとっても作る側にとっても不満が残ることが多い、いやこちらに関しては確実と言って良い。

そして、もう一つ引用。

僕らが想像した通りの形ではなかったものの、とにかくMacintoshは大成功を収めた。・・・(中略)・・・しかし、大きな視点からすれば、僕らは本当は失敗したのだと思う。なぜなら、今でもコンピュータは、一般のユーザにとってイライラするほど使いづらいものなのだから。Macintoshの夢が完全に実現されるには、まだ長い道のりを歩まなければならないのだ。

Macintosh発売20周年に合わせて本書(の原書)が出版されたが2005年。すでに三年がたつ。むろん今も「イライラするほど使いづらい」状況に変化はない。なんというか、おそらく、著者がここで言う「Macintoshの夢」(それはアラン・ケイの夢とも重なるだろう)がMacそのもので実現されることはもうないだろう。もっと別のカタチで、たとえばiPodやiPhoneのようなモノの向こうにそれは生まれるのかもしれない。

関連リンク

  • Folklore.org: この本(原書)の元になったサイト
レボリューション・イン・ザ・バレー―開発者が語るMacintosh誕生の舞台裏
アンディ ハーツフェルド
オライリージャパン ( 2005-09 )
ISBN: 9784873112459
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