ラベル インターネット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル インターネット の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2008-10-31

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #5

The intelligent cloud -- Posted by Alfred Spector, VP Engineering, and Franz Och, Research Scientist (9/18/2008)

It will be used by billions of people and learn from an aggregate of potentially trillions of meaningful interactions per day.

When combined with the creativity, knowledge, and drive inherent in people, this "intelligent cloud" will generate many surprising and significant benefits to mankind.

並列化によりコンピュータの処理能力が向上(50~100倍)すること、より多くの人々が様々な機器によってネットとつながること(新しい機器も登場する)。これにより、空前の処理能力を使って巨大なスケールの情報を扱う「賢い」システムが出現する。さらに、そのシステムは(その能力を使う)人々と相互作用することでさらに「学び」(人が持つ創造性、知識、意思をもデータとして取り込むことができるようになる)、賢さを増していく。といような内容。

一言で言うなら、量から質への転化、ってことなんだけど、どのようにして、その転化が現れるのかを(一例で良いから)書いて欲しいもの。

単純にウェブページを検索できるだけなら役に立たない。PageRankのような「しかけ」を入れることで Google は検索エンジンとして成功した。けれど Google の検索結果を見て「賢い」とは誰も思わないだろう。検索できること、さらにそこそこ有用な結果が返ってくることで「便利になったなあ」とは思うけれども。

何が何と、どうつながっていくと「賢さ」が現れるのだろう?

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #4

The future of online video -- Posted by Chad Hurley, CEO and Co-Founder, YouTube (9/16/2008)

Ten years ago the world of online video was little more than an idea.

Today, there are thousands of different video sites and services.

Today, 13 hours of video are uploaded to YouTube every minute,

In ten years, we believe that online video broadcasting will be the most ubiquitous and accessible form of communication.

10年前、オンラインビデオはごく一部の人だけが使えるものだった。今日では、何千ものビデオサイトができ、YouTube には毎分、13時間分の動画が投稿されるようになった。次の10年では、オンラインビデオが人々のコミュニケーションの中心メディアとなるだろう。

と、そんな内容。短かいから余計に感じるのだけど、読むべき内容はあまりない。なぜこうなったとか、どうしてそうなるというような「中身」がないのだ。

2008-10-27

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #3

The social web: All about the small stuff -- Posted by Joe Kraus, Director of Product Management (9/14/2008)

What makes two friends feel "close" to one another? I'd argue that a big part of it is the small details that you know about each other.

In the coming decade, the web will become as effortlessly social as chatting with your family or roommates at home is today. Social features will be embedded and around and through all variety of spaces and places on the web.

Fast forward ten years, and you'll feel even more at home on the web than you do today - because it will be a pretty good reflection of you.

"近しさ"は小さなコトを知り合うことにある。なぜなら、小さなコトを知ることは、離れていると難しいから。この先の10年で、ウェブには"近しさ"を感じるための仕掛けであふれるようになるだろう。というような内容。

2008-10-16

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #2

The democratization of data -- Posted by Hal Varian, Chief Economist (9/21/2008)

ITは「データの民主化」を可能にした、と。これは平たく言うと、昔は(といっても10年とか15年ぐらい前だけど)、一部の巨大企業だけが収集し、分析し、評価することができた大量のデータを、今では誰でも扱うことができるぞ、ということ。

コンピュータの変遷、とくにマイクロプロセッサとインターネットのそれを見てきた人なら、この「大量のデータを誰でも扱えるようになった(それも手軽に)」という指摘に同意するだろう。その変化の波を一番うまく乗りこなしたのが他でもないGoogleだ。「Googleを支える技術」でその一端が明らかにされたように、Googleの内部では日々、大量の(本当に大量の)データが処理され続けている。われわれはその成果を無料に近いコストで享受している。「Google以後」に成長した世代には、Google(とそれを可能にしたIT)が存在しなかったときに、人がどうやって暮らしていたかが想像できないかもしれない。

で、最後はこう問う;

what can big companies do now that small companies can't currently afford?
今はまだ小さな企業にはできなくて、大企業だけができることにはどんなものがある?

例として挙がっているのは、コンサルタントや専門家を雇うこと、多年にわたるデータに基づいた市場分析(むむむ、自信なし; marketing intelligenceって何?)、宣伝活動をともなう実験、多数の国々で販売活動をすること。これらはいずれITによって「民主化」される、と。でもって、Googleはそれを促進したいんだ、と。

10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog)

先月、Google が10歳になった。以下は、そのときにポストされた一連のエントリ。

Google Reader で☆を付けて放ってあったんだけど、今日、そのうちのいくつかを斜め読み。

改めて、タイトル(と著者)を並べてみると;

10歳になったGoogleが今何を考えているかが、ここから透けて見えるだろうか? ちょっと、読んでみようか(英語なんで短かめの奴から)。

2008-04-15

要するに ([著]山形浩生, [版]河出文庫) #2

通勤時間だけでさっくり読了(@4/14)。

第3部「世の中講座」の「会社ってなーんだ」のシリーズは続きが読みたい。正確には就職して社会人になる前に(書かれていない続きとあわせて)読みたかった、かな。

最後の「ネットワークのオプション価値」がちょっと気になっている。そのうちじっくり読み返してみたい。

2008-04-13

要するに ([著]山形浩生, [版]河出文庫)

例によってRSSリーダーで講読しているブログで知った本。この著者については、オープンソース関係の翻訳者として知っていたが、こういうものを書いていたとは知らなかった。

Googleを支える技術」を通勤の友としてきたけれど、満員電車の中で単行本サイズの本を出したり広げたりが、ちょっと苦しくなったので文庫に取り替えた。それがこの本。二日でちょうど半分ぐらいまで読み進んだところ。

第1部の「ケーザイ講義」は1999年1月〜2001年9月にかけて、第2部の「山形道場 I」が1995年10月〜1998年10月に発表されたもの。さすがに10年以上前の「道場」あたりの内容は古さを感じる。ネタがネットに関するものだからよけいにそう感じるのか。

内容はともかく、この文体は好き嫌いが出るかも。読みやすいからネットで読むならこれも良い。紙媒体に載るとどうかな。

p.134からの「情報投資と生産性」で紹介されている「そのコンピュータシステムが使えない理由(原題: The Trouble with Computers -- Usefulness, Usability, and Productivity)」は、翻訳が出版された頃に買って、少し読んだ記憶がある。先月ぐらいに本の山を掘っていたときに見つけて、懐しく思っていた。翻訳がこの著者のものだったとは気付かなかった。

2008-03-30

Googleを支える技術 -- 巨大システムの内側の世界 ([著]西田圭介, [版]技術評論社) #2

「第1章 Googleの誕生」を読んだ。

まず、Googleの出発点として「良い検索結果」=「役に立つ検索結果」だと捉え直したことがある。これを実現するための概念がWebページのランク付けであり、ランク付けのために(有名な)PageRankを始めとするアルゴリズムが考え出され、そして実装された。ページのランク付けは、Googleの誕生当時(1990年代後半)はもちろん、今なおホットで難しい問題であり、現在でもGoogleの技術的探求の中心でもある

1.4がインデックス化、1.5が事前に作成されたインデックスを使った検索そのものの仕組みの解説。1.3で解説されるクローリング(Webページを集めること)とともに、1.4は事前作業だから比較的時間をかけても良い。一方で、1.5の検索はユーザが検索語を入力してから、その結果が表示されるまでの短い時間(たいていは数秒)で行われなければならないことだ。それにもかかわらず、ここにはページのランク付けという困難がふくまれている。ここでの困難はランク付けの適切なアルゴリズムを考えることが難しいということではなく、膨大なWebページの情報(インデックス化で事前に作成されている)に対してランク付けアルゴリズムを適用し、その結果で並べ替えて、ユーザに検索結果として送り返す。それをごく短い時間でやらなければならない、という「スケール」に対する困難さだ。

実際、初期のGoogleではページのランク付けに関しては、一部のページのみが対象であったと書かれている(p.36)。

2008-03-30(23:39)時点で、本書の書名「"Googleを支える技術"」(書名をダブルクォーテーションで囲ってある)で検索したところ「約16,100件」という検索結果をGoogleは返してきた。時間は0.26秒だそうだ。「Googleを支える技術」としてダブルクォーテーションを取ると、「約236,000件」になり、これには0.40秒かかったとある。数十万という単位のデータに対して複雑な計算を実行し、結果をソートする。そこからさらにテキストの取り出し、結合、HTML化とやること時間のかかることはまだまだ多い。それをこの短い時間でやってのけるための仕組みがちょっと思い浮かばない。少なくとも第1章で解説されている方法を何の工夫もないまま素直に実装したら、このパフォーマンスは得られない。まあ、テキスト処理は実際に「検索結果ページ」を作るのに必要な件数(デフォルトは10件だっけ?)だけなんだが。それにしてもランク付けの計算は全部でやってるだろうしね。

その当たりの工夫が「第2章 Googleの大規模化」以降で解明されるらしい。

Googleを支える技術 -- 巨大システムの内側の世界 ([著]西田圭介, [版]技術評論社) #1

RSS講読している、とあるブログで発売を知った。発売日(2008-03-28)に購入。まつもとゆきひろの序文と著者による「はじめに」を読み、目次を眺めたところ。目次の項目を追いかけているだけでワクテカしてくる。

Google人たちが書いた論文が公開されている(Papers Written by Googlers)のは知っていたし、そのうちのいくつかは読んでみたいと思っていた(英語に負けなければ・・・)。この本のおかげで、そのための敷居がグッと低くなった。ひょっとしたら、原論文まで読まなくてもイイかもしれないし。

まつもとが序文で言うように、ここ十数年のコンピュータを中心とした世界で起きた変化のほとんどは量(スケール)に関するものばかりだ。一方で、 Googleの出現は世界を、少なくともネットの向こう側とそこにつながる人の生活様式を変えてしまった。これは質的な変化だ。それが「量から質への転化」なのだとしたら、Googleを支える技術(序文で言うスケーラブルコンピューティングってやつ)こそがその変化を持たらしたことになる。

Google は2004年の株式公開以降、ビジネスの世界での成功が華やかすぎて、その技術的な面の露出度は相対的に高くない(隠しているわけじゃないんだろうけど)。技術に心を引かれた人たちも、どちらかと言えば次々と打ち出される製品やサービス(APIとかも)に眩まされて、それを実現している仕組みのことには目が向かない。けれど、「世界最大のコンピュータ」(「はじめに」より)としてのGoogleには最先端の技術が詰まっているのだ。本書はそのことに改 めて気付かせてくれる(目次を読んだだけで!!)。

もう、この本は売れる気がしてきた。なんか技術書なんだけどベストセラーリストに並ぶような気がしてきた。むしろ、並ばないとしたら日本(のコンピュータに関わる部分)に未来はないっていうぐらいの感じがしている。

2006-12-14

ウェブ人間論 ([著]梅田望夫, 平野啓一郎)

本を発売日に買うのは最近ではちっとも珍しくないことだけど、発売日に読み出すというのは珍しい。通勤の間だけですでに半分近く(96/203)読み終えている。第二章の半分を越えたあたりだろうか。

両著者の対談の記録という形式。この形式は読む側としては少し「しんどい」。視点が常に複数あるから。小説の中の対話とは異なり、複数の脳(知性)が創り出した主張を並行して消化しつつ読み進むことになるから。かといって、片方の発言だけを拾って読んでいたのでは、それはそれで論理がぶつ切れになってしまい、理解不能になってしまう(そもそも、そんな読み方はしないけど)。

p.92-93あたりで「アイデンティティからの逃走」と題してネット上にある(と信じられている)匿名性について語られている。「匿(とく)」は「かくれる、かくす」の意味(「常用字解 ([著]白川静)」より)を持つから、つまりは「(実)名をかくす」ということ。 これまで匿名性というのは膨大な母集団に埋没してしまうことによって生まれる、個体識別および追跡の高コスト化によって持たらされたもの、と認識していた(以前、そういう記述を何かの雑誌の記事で読んだ)。基本的には、その線は正しいと今も思うけれど、今日、この「名をかくす」の「名」について、ふと思いついたことがある。この「名」は単に実名ととらえるよりも、ネット上で獲得したアイデンティティのことではないだろうか。そして、ネット上での匿名性は「名をかくすことができる」というよりも「名を使い捨てにできる」という方が適当ではないか、と。

2chタイプの掲示板では、固定ハンドル名を使うとか、あのIDはわたしですと自ら名乗らない限り、アイデンティティは一時的なものにしかならない。いつだって捨てられるし、また簡単に別のものを手に入れられる。ブログなら、たとえ実名でなかったとしても、長く続けていればやはりそこには単なる個性を超えた人格が認知される。だとしても「たかがネット」(p.93)だから、特殊な状況を除いて比較的簡単に「名を捨てることができる」。実名ならそれは難しいと思われるかもしれないけど、ネットにべったりと住みついているのでもない限り切り捨てることは可能だ。実生活で夜逃げをするよりは簡単なはず。

ただし、ネットの場合は捨てることはできても消えてくれるとは限らない。実生活でなら人の記憶やら噂は1年もたたない間に薄れてなくなってしまう。ネットだと、たとえブログやら掲示板の書き込みを消せたとしても、どこにコピーがあるかわかったもんじゃない。ブラウザやらプロキシのキャッシュに残っているだろう。それに最近はGoogleっていう巨大な集積場がある。こいつは人類の知の集積もやってくれるけれど、同時にゴミや恥ずかしい記憶の集積もやってくれる。

そういう意味ではネットではやはり匿名で(というか実名を隠して)活動する方が良いのかもしれない。とくに若い内は。年齢を重ねるとたいていの人は自分が若いときにやったことや言ったことに対して(顔から火が出るほどに)恥ずかしく思うようになるから。

2006-12-10

Google誕生 ([著]デビッド・ヴァイス/マーク・マルシード, [訳]田村理香) #4

8章から11章を読んだ。広告を表示することで収益を上げるというビジネスモデルを選んだGoogleがその規模を飛躍的に拡大していく過程が描かれている。

検索結果に広告を表示する方法、広告から広告料を集める方法、Googleらしくテクノロジーとイノベーションによってこれらを改善する。米国の検索エンジンとしてスタートしたGoogleが、ユーザは世界中に広がっていることに気付く。AOLやAsk Jeeves(Askは検索エンジンとしては競合相手でもある)といった企業との提携を実現し、検索技術や広告表示技術の業務提供を始める。また、9章では現CEOであるエリック・シュミットが参加し、いよいよ巨大企業への道を進み始める。

今回読んだ部分でとくに興味を引かれたのは8章にある以下の一節。

エリック・シュミットは、グーグル社のCEOに就任するやいなや、サーゲイとラリーに重要な質問をぶつけてきた。それは二人が今まで考えたことのない問題点を突いた質問だった。グーグルを使って検索している人たちはどこで検索をしているのかね? そして広告を出している企業はどこからその広告を入れているんだい?
(p.157)

Googleは米国の企業として誕生した。しかしその提供するサービス(価値)は誕生当初から米国に留まるものではなかったのだ。当時は(ひょっとしたら今も?)ウェブ上の情報の多くは米国内に存在していた。一方でそれらに価値を見出す人々は世界中にいた。(特殊な状況下にある場合を除けば)インターネット上には国境はない。コンテンツはローカルに集中していても、ユーザはグローバルに拡散していたのだ。それから数年、今ではコンテンツも世界中に存在している。Googleのサービスも(そしてビジネスも)グローバルに展開されるようになった。中心である検索と広告のサービスは言うに及ばず、Gmailのように比較的新しいものも多数の言語に展開し、提供されている。

Googleは誕生した瞬間からグローバルな存在であることを運命づけられていたのだ。

2006-11-28

Google誕生 ([著]デビッド・ヴァイス/マーク・マルシード, [訳]田村理香) #3

6章と7章を読んだ。6章は「グーグル・ドゥードゥル」(たまにGoogleのロゴが変わるやつ)の誕生について。加えてGoogleの心臓(頭脳?)というべきコンピュータ群のこと。7章はGoogleが広告から利益を上げる仕組みを作り上げるまで。

6章のGoogleの見た目(ユーザビリティというべき?)の改良のためのユーザテストで、テスターたちがページが表示されるまで長く待っていたというエピソードは興味深い。Googleのページ(トップや検索結果)の下部に必ず表示されるコピーライト表示にそんな意味(これでこのページの中身は終わりという印)があったとは思わなかった。

広告については・・・そう、必要なときというか、あってうれしい場合もあるんだ。そうでない場合の方が圧倒的に多いけど。でもそれは広告自体の存在が悪だというのではなくて、過剰に垂れ流すしかできない今の広告表示技術の方に問題があるのだ(とくにTVのCMなど)。広告であれ何であれ、必要としている人に過不足ない情報を届ける。そんな仕組みが整備されれば広告も(有用な)コンテンツになる。

2006-11-20

Google誕生 ([著]デビッド・ヴァイス/マーク・マルシード,[訳]田村理香) #2

5章を読み終えた。この章で、サーゲイとラリーはGoogleを会社としてスタートさせ、さらにベンチャーキャピタルから巨額の融資を得ることに成功する。つまり、いよいよGoogleが始動することになる。それが1998年の秋から翌年の夏にかけてのこと。章の終わりはこうなっている。

しかし、それでも根本的な質問には答えることはできなかった。依然として謎は残っていた。グーグルは一体どうやって金を稼ごうとしているのか?
(p.111)

2006年の今、Googleがどうやって金を稼いでいるかはみんなが良く知っている。でも事の始まりにおいてはどうだったのか。この先でそれが明らかになるのか!

実はこの本を読みつつ当時(1998年や1999年あたり)のことを思い出そうとしているのだけれど、ほとんど思い出せない。インターネットへの接続は確保していたように思うけど(ダイアルアップかな)、Googleを使っていただろうか?最初に使っていたサーチエンジンはYahoo!だった気がする。今ではすっかりGoogle好きになったけど、それがいつ頃からだったか。それも記憶のもやの向こうに消えてしまってわからない。

2006-11-13

Google誕生 ([著]デビッド・ヴァイス/マーク・マルシード,[訳]田村理香)

入手したのは数ヶ月前(2006-09ぐらい)。いくつかあるGoogle本の中から比較的新しかったのでこれを選んだ。すぐに読み出そうと枕元に積んであったが、なかなか読み進めなかった。ようやく読み始めて、今3章の半ばあたり。

知りたいのはGoogleの物語。とくにその始まり。何をしようとしていたのか。そして実際には何をしてきたのか。Appleの場合の「マッキントッシュ誕生物語」(原題: Insanely Great)のような物語を知りたい。

これを読み進まない内に、他にも2冊ほどGoogle本を入手ずみ。「ザ・サーチ ([著]ジョン・バッテル,[訳]中谷和男)」「Google 最強のブランド戦略 ([著]ニール・テイラー,[訳]石原薫)」。一気に読み切ることができるか?(ムリだって)