ウォズ(Steve Wozniak)の序文、著者(Andy Hertzfeld)による「日本語版へのまえがき」と「はじめに」、さらに「主な登場人物」を読んだ。
「はじめに」からいくつか引用してみる。
初期のほとんどのApple社員は、自分自身を理想的な顧客と見なしていた。Apple IIは芸術作品であると同時に、Appleの社員と顧客が分かち合う夢の実現でもあった。
ここ、大事。試験に出るっていうぐらい大事。
Macintoshの設計チームはWozオリジナルの設計に感化され、その革新的な精神を呼び戻そうとしていた。僕らは再び自分自身の理想的な顧客となり、何よりも自分たちが欲しいと思うものを設計した。
先と同じ内容だけど、先の引用はApple IIという製品について、こっちはMacintoshについて。技術者として、とくにソフトウェアの開発者として企業に雇われていると、「顧客==開発者」であるという構図が成立した場合に良い製品、それも素晴しい製品が生まれやすいことに気付く。例外もあるだろうから法則と呼ぶことはできないけれど、逆にこれが成立しない場合は、使う側にとっても作る側にとっても不満が残ることが多い、いやこちらに関しては確実と言って良い。
そして、もう一つ引用。
僕らが想像した通りの形ではなかったものの、とにかくMacintoshは大成功を収めた。・・・(中略)・・・しかし、大きな視点からすれば、僕らは本当は失敗したのだと思う。なぜなら、今でもコンピュータは、一般のユーザにとってイライラするほど使いづらいものなのだから。Macintoshの夢が完全に実現されるには、まだ長い道のりを歩まなければならないのだ。
Macintosh発売20周年に合わせて本書(の原書)が出版されたが2005年。すでに三年がたつ。むろん今も「イライラするほど使いづらい」状況に変化はない。なんというか、おそらく、著者がここで言う「Macintoshの夢」(それはアラン・ケイの夢とも重なるだろう)がMacそのもので実現されることはもうないだろう。もっと別のカタチで、たとえばiPodやiPhoneのようなモノの向こうにそれは生まれるのかもしれない。
関連リンク
- Folklore.org: この本(原書)の元になったサイト
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