2006-12-09

主役は自己複製子「ミーム」 ([著]スーザン・ブラックモア, [収]日経サイエンス2001年1月号)

ここ数年、いろいろな雑誌で、過去の内容をCD-ROMやDVD-ROMに収められて販売するものが増えてきた。日経サイエンスも2000-2004年分をDVD-ROMで、2005年をCD-ROMで販売している。紙媒体はデジタル化された媒体(PDF等)にくらべて見易さという点ではすぐれているものの直接検索できないという点では劣っている。こうしたCD-ROMやDVD-ROMからPDFをHDDにコピーしてしまえば、(Mac OS Xであれば)Spotlightでざくざくと検索できるようになる。今日、読んだ記事もそうしてHDDにコピーし検索して見つけたもの。日経サイエンスの他の記事(「幸福の手紙に潜む進化のルール ([著]C.H.ベネット/M.リー/B.マ, [収]日経サイエンス2003年9月号)」)を読んでいて(これは紙媒体が残っていたので紙面で読んだ)、「ミーム」という言葉を思い出し、このブラックモアの記事に至った。

この記事で、著者のブラックモアはヒトという生物種は遺伝子とミームという2つの自己複製子を持つと主張する。従来の遺伝子だけによる進化という枠組みでは人類のすべて、とくにその文化的・社会的な側面を説明し切れないという。

ヒトの特徴ともいうべき「学習」(この記事では「模倣」というより一般的な言葉が使われている)も、ミームの複製(伝播)に都合が良い。それどころか、ミームのためにこそあると言っても良いように思える。生物種としての進化の過程で、個体の生存に有効なミームを効果的に獲得、蓄積できることが種の存続(つまり遺伝子の複製)にとって有利となった。これにより学習能力が(ヒトにおいて)急速に進化することとなり、肥大化したその能力がついには生存とは無関係なミームにとっても増殖の機会を提供することとなる。こうしてジーン(遺伝子)とミームは共進化し始めたのだ、と著者は言う。今では、ジーンよりもミームの方が主導権を握っているのだ、とも。

ミームの視点から見れば,すべての人類はより多くのミームを作り出すための機械だ。人類は増殖のための乗り物,複製される機会提供物で,利用をめぐって競合する資源だ。私たちは自らの遺伝子の奴隷でもなく,自らの幸福のために文化,芸術,科学技術をつくりだす理性的で自由意思による行動者でもない。むしろ,私たちは遠大な進化過程の一部であり,そこではミームが進化する自己複製子となり,私たちがミームマシーンとなっている。
(p.61)

これは驚くべき(興味深い)考え方だ。われわれは「利己的なジーン(遺伝子)の乗り物」であると同時に、いやそれ以上に「利己的なミームの複製装置」でもあるのだ。

ミームという概念はとてもおもしろく、この記事で著者がいうようにヒトの、生物としては無意味であったり、時には生存に不利に働くような進化の方向性を説明する枠組みになるのかもしれない。ただ、これを読む限りではまだ科学の一領域として確立されるには至っていない(というか、それにはほど遠い?)ようだ。著者自身が科学として成功するためには「効果的で検証可能な予測を示す」必要があると最後に結んでいる。

ちなみに、ミームという言葉はリチャード・ドーキンスが著書「利己的な遺伝子」の中で最初に使ったとのこと。手元にある紀伊國屋書店版(1991年発行)では「11 ミーム --新たな自己複製子-」(p.301-321)になる。

この記事が思いのほかおもしろかったので、ブラックモアの著作「ミーム・マシーンとしてのわたし」をAmazonで発注してしまった。

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