8章を読んだ。ここではヒトの脳がさまざまな構造(空間、時間、因果)をどのように認識するのか、その仕組みと傾向が明かされる。近くにあるものはひとまとまりだと思い(#75)、同時に起きていることはひとまとめに感じる(#76)。ヒトやその他の生き物のように動く何かは、それが本当は何であれヒトや生き物のように思い込む(#77、#78)。それが脳の働きなのだとわかる。
と、ここまではおもしろく読めたんだけど、続く#79(因果関係の認知)と#80(「自分の意志」の認知)を読んで、少し恐くなった。たとえば#79ではこう書かれている。
このように因果関係を理解する時、我々は意識的に推論を行う必要はない。時間をかけて推論をしなくても、脳は瞬時に因果関係を理解するのである。
(p.308)
この部分はいい。ああ、便利な脳で良かったと思うだけだ。けれど続く次の段落を読むと、ちょっと不安になる。
意識も努力も必要ないということは、逆に言うと、錯視などと同様、我々の意思とは関係なしに自動的に行われるということでもあり、たとえこの機能を停止したくても停止できないということである。
(p.308)
完全無欠な機能であれば自動的に動いてくれても問題ない。けれど、こいつはときどき間違うのだ(それが、すぐ後で示される簡単な実験で体験できる)。いや、気付いていないだけで、実はしょっちゅう間違っているんじゃないか?
#80ではさらに不安が増す。
「観念運動現象」などの現象が存在することは、脳が自らの「意志」の存在を直接認識するメカニズムを持っていないということを意味する。
(p.314)
自分の意志(思考)が行動の原因だと感じられるのは、それがただ短い時間の間に続いて起こったからに過ぎないというのだ。言い換えると、何か外的要因による行動であったとしても、それに思考が(短かい時間だけ)先行していれば、そこに因果関係を認識してしまう。つまり、その行動が自分の思考によるものだと錯覚してしまう、というのだ。
この脳ってやつが、だんだん信用できなくなってきた。あれ、そう考えているのはどの脳なんだろう??
参考リンク
- 『Mind Hacks』関連Webサイトリンク集 (オライリー・ジャパン)
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