2006-11-28

銃・病原菌・鉄 ([著]ジャレド・ダイアモンド, [訳]倉骨彰)

入手したのは2000年のこと。上巻を読み切るあたりで放り出してあった。おもしろくないわけじゃなかったんだけど。今回、勤労感謝の日と週末で上下巻ともに読破しようと、改めて最初から読み始めた。もちろん、思惑通りには読み進めず、ようやく第8章に入ったところ。

紀元前11,000年頃に人類は地球のほぼすべての陸地に暮らすようになった。そこから人類の歴史が始まると言ってもいい。というのも、その時点ではヒトの暮らしに大きな差異は見られなかったからだ。人類発祥の地であるアフリカ大陸に住む人々も、一番後になって人類が居住するようになった南北アメリカ大陸に住む人々も、同じような暮らしぶりだった。現在の世界に見られるような地域による格差は無いに等しかった。すべての差はその後の歴史の中で生まれたのだ。

人類史の大部分を占めるのは、「持てるもの(Haves)」と「持たざるもの(Have-nots)」とのあいだで繰り広げられた衝突の数々である。しかもこの衝突は、対等に争われたものではなかった。つまり、人類史とは、その大部分において、農耕民として力を得た「持てるもの」が、その力を「持たざるもの」や、その力を後追い的に得たものたちに対して展開してきた不平等な争いの歴史であった。
(p.133)

この本の主題は、この不平等がなぜ生じだのか、という問いに答えることだ。著者はその差の起源は食料生産にあったのだと言う。

つまり食料生産を他の地域に先んじてはじめた人びとは、他の地域の人たちより一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へと歩み出したのであり、この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させ、その後の歴史における両者の絶えざる衝突につながっているのである。
(p.148)

では、食料生産の開始時期の地域差はなぜ生じたのだろう。と、仮説と検証が続いていく。このサイクルがおもしろい。最後にどんな結論が導かれるのか楽しみだ。

読んでいて思ったことは、「これは歴史の本だろうか。それとも科学の本だろうか」ということ。著者が展開して見せてくれるのは人類の歴史というよりも、ヒトという生物種の地球という惑星における発展モデルだ。シミュレーションと言ってもいい。描き出される姿は必然というよりは偶然から始まる因果の連鎖だ。もし、初期条件が少し変わっていたら・・・。つい、そんなことを考えてしまう。

最近、邦訳の出た同じ著者の「文明崩壊」も手に入れてある。というより、それを入手したことで、この本のことを思い出したのだ。

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