思うところあって、いくつかあったブログを一本化することにしました。以後、この「物読みファイル」の更新は行いません。これまで投稿してきた記事はそのまま、ここに残します(Googleが消せと言ってこないかぎり)。
物読みファイル
毎日、何かを読もう。少しでも良いから読もう。 で、それを記録していく。ただ、淡々と記録してみる。
2009-08-08
夏への扉 [新訳版] ([著]ロバート・A・ハインライン, [訳]小尾芙佐, [版]早川書房)
「なんで今さら新訳(・ω・)?」
ハヤカワ・オンライン・ニュース(登録すると毎月メールで送られてくる新刊案内)で、本書の刊行を知ったときの素直な印象。福島正実訳の版だって比較的入手しやすい(大型書店に行けば棚に並んでいる)。復刊する、新装版を出す、新訳にするというなら、もっと入手困難な名作があるだろうに・・・。
もちろん、コレが悪いって言ってるわけじゃない。名作なのは事実。旧版の訳者あとがきにあるように最初の数行を読んだらもう読むことを止められなくなる。そんな作品だ。年齢を問わず、性別を問わず、それまでの読書歴に関係なく、猫好きであってもなくても、誰に対してもSF入門に最適な1冊。ただ、いい歳した大人が(それもオッサンが)「これはイイ」とか「名作だよ」とか「好きなんだ、コレ」などと言うのは、正直、恥ずかしい。
ハインラインのベスト3を挙げろって言われたら、「ええっと、順位はともかく、2作は『宇宙の戦士』と『月は無慈悲な夜の女王』で決まりだな。」と答える。残りの1つは・・・ちょっと答えたくない。決められないんじゃなくて、答えたくない。人格や価値観に影響を与えたという意味では、『宇宙』と『月は』が優るとしても、純粋に好き嫌いで比較したらコレがベスト1だ。そう思っていても、コレを好きだってはっきり言うのは、やはりちょっと恥ずかしい。
まあ、好きなんだけどねえ。なにせ、引っ越しするたびに増えるんだ。いつも手元に置いておきたくなるから。
ハインラインを好きなSF読みはみんなそうじゃないか?
新版の表紙では、ピート(だよな?)がこっちを見ているのが、ちょっと良い感じ(・∀・)b
旧版の表紙の、扉を覗きこむ後ろ姿も味わい深いけどな。
2009-02-13
ものづくり革命 -- パーソナル・ファブリケーションの夜明け ([著]ニール・ガーシェンフェルド, [版]Softbank Creative)
(p.24)
2002年にスタートしたファブラボは、(・・・中略・・・)装置と消耗品にかかった初期費用は 1 施設あたりおよそ 2 万ドルだった。(・・・中略・・・)学外で活動して驚いたのは、それだけの対価を払ってもいいから同様のラボを作ってほしいという要望があつこちからあったことだ。
ここで言う「ファブラボ」とは、この本のもと(ネタ)になった「(ほぼ)あらゆる物をつくる方法」という MIT での講座で使われた施設のこと(この講座は 1998 年に開始された)。正確にはそれと同等の機能を MIT の外で、つまり一般の人々に提供するために作られた施設のこと。
「(ほぼ)あらゆる物をつくる」ことのできる施設って一体どんなものなのか? 著者は言う、
(p.23)
第1世代のファブラボは、三次元構造物の構成要素となる二次元形体を切り出すレーザーカッター、コンピュータ制御のナイフを作ってフレキシブルな接続回路やアンテナを切り出すサインカッター、回転する切削工具を三次元的に動かして基盤や精密部品を作るフライス盤、論理を埋め込む微小な高速のマイクロコントローラをプログラミングするためのツールから構成されている。
これだけも道具(と材料)が 200 万円ほどで手に入るってことだ。200 万円は高いようにも思えるけれど、それで「(ほぼ)あらゆる物」が作れるようになるなら、どうよ? 欲しいだろう? ただ、日本の空間コストの高さを考慮に入れると、ファブラボを置く場所に、その何倍もの出費が必要になりそうだけど。一部屋というかガレージだなあ。
現代は、ハードであれソフトであれ、個人が本当に欲しいモノを作れる時代になったのだと著者は言う。クルマ 1 台分の投資で(場所のことを無視すれば)可能になるそれを、「パーソナルファブリケーション」と呼ぶ。
(p.29)
パーソナルファブリケーションを実現するうえで最大の障害は、(・・・中略・・・)パーソナルファブリケーションが可能であるという知識の欠如だ。
この本を読むまでは、わたし自身、こんなことが可能だなんて思ったこともなかった。自分だけに価値のある物(この場合はハードな、つまりソフトとは違って手で触れられる実体を持ったモノ)を作ることができるなんて。同じことがソフトウェアについても言えるのかも。現在では、プログラミングするために必要な環境は、ものにもよるけれど、ほとんど投資の必要なくそろえることができる。数万円のノートPCが 1 台あればプログラミングには十分なのだ(インターネットへの接続もあった方が良い)。それを知らないばかりにプログラミングなんて自分とは縁のない行為なんだと思っている人は多いのかもしれない。
Amazon からの「おすすめ」の奥深くで見つけるまで、この本についてはまったく存在を知らなかった。知らなかったことが残念だ。もっと早くこの本に出会いたかった。5年前とは言わない、せめて翻訳が出版された 2006 年 2月に読みたかった。そうしたら、今はもっと違う場所にいたかもしれない。そう思えるぐらいインパクトがある。
これはとても良い本だ。ベストセラーになってないのが不思議なぐらい。エンジニア(技術者)は、ソフトでもハードでも「モノづくり」に関わる人は、みんなこれを読むべきだ。いや、むしろ「読まなければならない」っていうぐらいの扱いで。
2008-12-20
10歳になったGoogle ([著]Googlerたち, [版]Official Google Blog) #9
Ad perfect -- Posted by Susan Wojcicki, VP, Product Management (9/12/2008)
Google's advertising business was founded on the core principle that advertising should deliver the right information to the right person at the right time.
広告はウザい。何よりもまずそう思うのはなぜだろう? おそらくそれは、ヒトがインターネットにつながる以前の世界での広告の供給のされ方に問題があったのだ。その基盤となった技術の未熟さが、広告を有益さよりもわずらわしさが目立つ情報にしてしまった。その配布に対する方法論が稚拙だったことが、広告をほぼ確実にムダなだけの情報にしてしまった。
「正しい時に、正しい人に、正しい情報を」、もう少しわかりやすく表現するなら「適切な瞬間に、必要としている人に(だけ)、(本当に)求められている情報を」となるか。これが実現できるなら、広告は有益どころか必須の情報となる。
さらに言う「まだ存在を知らない(けれど実は有益な)何かを知るのに役立つ」と。
ads can help you learn about something you didn’t know you wanted
(・・・中略・・・)
the ad helped me discover something I didn't know existed.
もちろん、インターネットは、コンピュータは、Googleはヒトの心が読めるわけじゃない。その代わりに膨大なデータを使う。わたしやあなたや彼や彼女が、今どこにいて、いつもこの時間なら何をしているか、普段その場所でどんなことをしているのか、今日はどんな日(子どもの誕生日? パートナーとの記念日?)なのか、そんな雑多な個人情報をガサガサ集めて、ゴリゴリ処理して、その望みを(確率的に)割り出す。そして、こう言う「ひょっとして、おいしい和食の店を探していますか?」と。
「広告」の概念を発明した人が誰かは知らないけれど、その発想の大本には3つの "right" があったのかもね。
関連エントリ
2008-12-14
iPhone HACKS! ([著]小山龍介, [版]宝島社) #2
このところ、ライフハック系の本を良く読んでいる。というのも、この類の内容が通勤、とくに朝の通勤で読むのにピッタリだから。気合いが入ったり、モチベーションが上がったり、こうしてみよう、ああもしてみようと前向きな気分になれる。で、そういった本で共通に主張されていることがある。それは「コントロール」。ライフハックとは自分自身を、キャリアを、人生をコントロールすることなのだ。
(p.66)
これは、自分で決めたスケジュールです。自分で自分自身をコントロールする。自分の時間をコントロールする。それは、他人に流されることなく、自分自身のリズムで生きていくということ
とはいえ、自分自身のコントロールは簡単じゃない。世界で一番わがままな自分自身は、自分の言うことすら聞いてくれない(他人の言うことなんて耳も貸さない)。
(p.73)
効率の悪い仕組みの中でがんばるよりも、がんばらなくてもいい仕組みを作る、というのは、まさにハックの真髄です。
言うことを聞いてくれない自分に悩むより、無理に言うことを聞かせようとがんばるより、言うことを聞かざるを得ない仕組みを作れないだろうか。
(p.102)
環境が思考や行動に影響を与えている一例。こういうことを経験すると、思考そのものを無理に変えようとするよりも、環境を変えたほうが簡単だ、ということにも気づきます。 ここにもライフハックの基本コンセプトがあります。それは、「自分を変えるのではなく、環境を変える」ということ。・・・(中略)・・・外部の環境を変えることで、その環境の変化に対応して自分の思考が変化する。この発想で仕事や生活を捉えなおすことが、ライフハックなのです。
ここが大事なところだね。自分を変えるのが難しければ、もっと変えやすい環境を変える。たとえば、TV を見ることが自分自身のコントロールを失わせているというなら、(あくまでも「例え」だゾ)、TV を捨てる(売ってしまう)というような「環境の変化」を起こしてしまう。無いものは見れないからね。完全に排除してしまうのが不安なら、普段はコンセントを抜いておく、とかね。
結果が出さえすれば良いんだよ。自分自身をコントロールすることが目的だからといって、自分の変化にこだわらなくても良い。ヒトは独立してただ自身だけで存在しているわけじゃない。取り巻く環境との関係も自分のあり方のひとつの面だ。環境を変えることで、好むと好まざるとに関係なく、行動が変わる。そんな変化の起こし方もある。ちょっと「目からウロコが落ちる」気分だわ。(`・ω・´)
関連エントリ
2008-12-12
第28回 不在問題 ([著]増井俊之, [版]WIRED VISION BLOGS)
増井俊之の「界面潮流」: 第28回 不在問題
私が運営している本棚.orgやQuickMLなどのサービスは、ユーザIDもパスワードも登録せずに利用することができるようになっているのですが、ユーザやパスワードの登録が要らないことに気付いて喜んだ人はほとんどいないようです。ユーザの個人的な情報を扱うシステムなのにパスワードを使わずに利用できるということは大きなメリットがあると考えているので、私は自分のサービスでは極力ユーザIDやパスワードを利用しないようにしているのですが、「パスワードを利用しない」ということの利点はなかなか理解してもらえないようです。
「パスワードを利用しない」っていうか、特定の個人に結びついたデータを本人をふくめて不特定の人々が更新できる、という状態だよね。一般的には受け入れがたい状況なのだけど、場合によってはこれが受容可能なこともあるんじゃないか?
もちろん、いわゆる個人情報を勝手に書き換えられるのは困るし、なりすまされるのも問題だ。けれど、わざわざ他人にひもづいたものを書き換えようと思わない(あるいは書き換えることで得られる「何か」が手間に見合わない)、そんな情報はないのだろうか?
ひょっとしたら、「誰でも書き換えられる」方が積極的に喜ばれることもあるかも。「本棚」や「ML」がそうなのかはわからないけど。ああ、やっぱりそういう状況はちょっと想像できないな。
とはいえ、いつだって想像力不足っていう可能性はある。だとしたら、そこにイノベーションの可能性もある。発明おじさんはそういうことを言いたいのかしら(・ω・)?
そうそう、Wiki はちょっと違うよね。そもそもの Wiki は特定の個人に結びついていない情報(つまりみんなの共有情報だ)を誰もが編集できるっていうものだから。ま、運用次第ではあるけど。
携帯の乗換案内を、もっと素早く。([著]井上 陸, [版]Google Japan Blog)
Google Japan Blog: 携帯の乗換案内を、もっと素早く。
Google モバイルの検索ボックスには欲しい情報をすぐに見つけられるよういろいろ工夫がしてありますが・・・(中略)・・・
- 「渋谷から六本木」:これが基本的な使い方です。現在を出発時刻にして検索されます。
- 「六本木から横浜 終電」:急いで終電を探すときも、これで一発です。
- 「渋谷から六本木 1830」:これで、午後6時30分に六本木に到着する経路を検索できます。
- 「渋谷 六本木」:スペースで区切って使うこともできます。
正体はただの単純なアルゴリズム。実体はただの条件分岐。けれど、ヒトはこういうところに「賢さ」を読み取る。本来、「便利」==「賢い」ではないのだけれど、今までのコンピュータの不便さへの不満の反動がそう思わせる。
結局、ヒトと同じように思考する機械を作ることはできないのかもしれない。その代わり、膨大なデータを背景に動く(比較的)単純なアルゴリズムが「賢さを演出する」ようになるかも。ヒトのような能動的に外界と対話する知性ではなく、受動的だけれども問題解決に特化した「賢さ」。ヒトの問いかけにヒト以上の賢明さで答えを編み出す。そんな機械ならもうすぐそこに見えているのかも。
演出された賢さはチューリングテストをパスしないだろう。けれど、便利ならそれで良いよな。チューリングテストをパスするような機械にヒトは好感を抱かない。