2008-07-14

理性の限界 -- 不可能性・不確定性・不完全性([著]高橋昌一郎, [版]講談社現代新書)

「序章 理性の限界とは何か」と「第一章 選択の限界」を読んだ。序章を読んでいるときはそれほどおもしろそうには思わなかった。第一章を読んで印象が変わった。いやあ、オモシロイ。

アロウの不可能性定理(Wikipediaでの表記はアロー)っていうのは初めて知ったのだけど、これが何ともおもしろい。民主主義っていうか、選挙に代表されるような投票という行為をモデル化し、「おいおい、お前らが大事にしている民主主義って、実は不可能なんだぜ」ってことを証明してしまった、とか。それでノーベル賞(経済学)を受賞した、とか。

もちろん、不可能なのはモデル化された民主主義(それも完全民主主義っていうらしい)であって、実在の制度やら何やらに不備があるとかどうとうか、そういうことではない。まあ、第一章を読んでいると、不備だらけだろっ、って思えるけど。

オモシロイのは民主主義が不可能だとかそういうことではなくて、民主主義なんていう数学(や科学)とはおよそかけ離れたところにありそうなモノが、少数の条件(この本では 2 + 4 で 6つの条件が挙げられている)でモデル化できるってこと。この定理の存在を知ることができただけでも、この本を買って読んだ(まだ 1/3 だけど)価値がある。

序章では、人間の理性(哲学系らしいからねえ、科学系ならヒトの知能とか知性って表現するだろうけど)に対して 3 つの限界を提示している。すなわち「選択の限界」「科学の限界」「知識の限界」。このうち「選択の限界」に当たるのがアロウの不可能性定理だ。残りの 2 つは、それぞれ「ハイゼンベルクの不確定性原理」と「ゲーデルの不完全性定理」。サブタイトルにある 3 つの「不*性」がここに現れる。

2008-07-10

iPodは何を変えたのか? ([著]スティーブン・レヴィ, [訳]上浦倫人, [版]SoftBank Creative)

今、第九章を読んでいるところ。熱い。グッとこみ上げてくるものがある。このあたりはレヴィの真骨頂だねえ。「ハッカーズ」も「マッキントッシュ物語」も熱い本だった。

iPod とは初代からの付き合い。ほとんど 7 年がたったんだねえ。初代は壊れてもう動かない。肥大化する一方のライブラリに対応するために買った四つボタン(第三世代)はまだ動くけど使っていない。それどころか、さらに肥大化したライブラリのために買ったVideo iPod(第五世代)すらホコリをかぶった状態が続いている。今の主力は nano (第二世代; 8Gの黒)。実は nano も二台目。第一世代の白 nano は黒 nano が出るまでは主力だった。あ、そうそう、ほとんど使うことはなかった初代の shuffle もある。

「第六章 アイデンティティ」。iPod のライブラリを人とくらべるとか、見せるとかっていう発想はなかったわ。なんか、ちょっと恥ずかしいし。あ、それは人に見せられないような曲やら歌やらばっかり聴いているってことか。(´・ω・`)

「第八章 シャッフル」。うん、ここを読んでから数日というもの、nano をずっとシャッフルで聴いている。普段はどちらかというと、同じ曲を何度も何度もリピートしているタイプなんだけど、シャッフルも良いね。通勤で、本を読みながら聴いていて(というか聴きながら本を読んでいて)、思わぬ曲が不意打ちでかかって読むのが止まってしまうこともあったり。

第九章を読み終わったら、また改めて書くことにしよう。

iPodは何を変えたのか?
スティーブン・レヴィ / ソフトバンク クリエイティブ ( 2007-03-29 ) /アマゾンおすすめ度